連載:怯まず前へ 常に結果を出し続けるチームと強い心の作り方

相澤晃が作り上げた“強い体” 世界を目指すきっかけは2019年箱根駅伝

酒井俊幸
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第10回

2020年箱根駅伝では2区で区間新記録を樹立しMVPを獲得した相澤(左)。今後は世界を目指して、10000m・マラソンに挑んでいく 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

 2019年度は、本格的なフィジカルトレーニングを取り入れて3年目を迎えました。
 4年生でキャプテンを務める相澤晃は、食育とフィジカルトレーニングでの成長が顕著な選手です。1年生のときには箱根駅伝の直前にノロウイルスに感染して出場できなかったり、2年生のときには疲労骨折をしたり、主要大会の前に発熱したりもしました。

 今でこそ、細く強くしなやかな、理想的な体格になり、ときには「馬のようだ」という声をいただきますが、高校時代は貧血に悩まされていました。現在の強さは、“作り上げた強さ”と言えます。この、強い体を作り上げることは、ここ数年のチーム作りの特徴でもあります。

 相澤は体がたくましくなったことで、練習の強度を高めることが可能になりました。
 本人は3年生時まで、ただ漠然と、卒業後にマラソンを走りたいと考えていたようです。ただ、4年生になってからは、私が「世界に挑戦してみないか」と言ったところ、10000mとマラソンで世界を目指す意思を明確に示してくれました。

 1つのきっかけになったのは、2019年の第95回箱根駅伝です。
 相澤は前年に2区を区間3位と好走したので、この大会でも2区を走ると予想した方が多かったのではないでしょうか。しかし、さらにその前年に2区を走った山本修二の調子が上がっていたこと、そして相澤は単独走で力を発揮でき、細かいアップダウンにも強いことから、適性を考えて私は4区に起用しました。

 相澤の記録は1時間00分54秒の区間新記録。距離変更前の1999年に駒澤大の藤田敦史さん(現・コーチ)がつくった1時間00分56秒をも上回り、圧巻の区間記録と評価されました。

 藤田コーチは、マラソンで1999年の世界選手権で6位に入賞、2000年には当時の日本記録を樹立しています。私と同じ福島県出身の同期生ですが、相澤にとっても福島県の先輩ですから、その藤田コーチの記録を破ったことが大きな自信になったようです。

 相澤は、ケガ明けで万全ではありませんでした。それでも走れたことで、今までの取り組みは間違っていなかった、実直にやってきた成果が出たと実感したのだと思います。
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著者プロフィール

1976年福島県生まれ。学校法人石川高等学校卒業後、東洋大学に入学。大学時代には、1年時から箱根駅伝に3回出場。大学卒業後、コニカ(現・コニカミノルタ)に入社。全日本実業団駅伝3連覇のメンバーとして貢献。選手引退後は、母校である学校法人石川高等学校で教鞭をとりながら、同校の陸上部顧問を務めた。2009年より東洋大学陸上競技部長距離部門の監督(現職)に就任。就任1年目でチームを優勝に導くという快挙を達成、箱根駅伝では、優勝3回、準優勝5回、3位2回という成績を達成。

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