連載:J1・J2全40クラブの番記者が教える「イチオシ選手」

2年半の武者修行で新たな武器を手に 佐々木匠は仙台のレジェンドの背中を追う

板垣晴朗

2年半の武者修行を経て、ジュニア時代から育った古巣に復帰した佐々木。泥臭さとたくましさを身に付けた華麗なテクニシャンが、仙台の前線を力強くリードするはずだ 【(C)J.LEAGUE】

 J2の徳島ヴォルティス、カマタマーレ讃岐、レノファ山口FCで研鑽(けんさん)を積んだ2年半のレンタル生活で、佐々木匠は変貌を遂げた。創造性に富んだテクニシャンが、泥臭いプレーもいとわないタフさを身に付けて、古巣に帰還を果たしたのだ。あるいは、昨季限りでベガルタ仙台を去った偉大なレジェンド、梁勇基の領域へと足を踏み入れるシーズンとなるかもしれない。

自身の成長のために仙台を離れる

 特に注目したいのは、技術と創造性だ。しかし、今の佐々木匠は、それだけにとどまらない魅力が増している。

 宮城県仙台市出身。ジュニア年代からベガルタ仙台のアカデミー育ち。軽快な身のこなしと、多彩なボールタッチで攻撃をリードする。プレッシャーが厳しくなる相手ゴール前でこそ創造性を発揮し、意外性のあるラストパスやシュートでゴールに関与する。年代別日本代表でもトップ下を務めるなど攻撃の仕掛け役として活躍してきた業師は、いわゆる「ボールを持ったら何かをやってくれそうな」選手の側面が強かった。

 2016年のトップチーム昇格後は、幾度となく壁にぶつかりながらも成長を続けてきた。

 2種登録時代の14年シーズンのJ1・16節ですでにベンチ入りを果たしていたが、プロになってから再びベンチに入るまでには時間を要した。J1デビューは16年シーズンのセカンドステージ2節・ガンバ大阪戦。17年にはYBCルヴァンカップのグループステージで活躍したが、リーグ戦では一時スタメンの座をつかむも継続して出場機会を得るには至らず、夏に徳島ヴォルティスへの期限付き移籍を決断した。

 仙台生え抜きの選手として、「こういう形で仙台を離れるとは想像していなかった」と悔しさもにじませたが、自身の成長のため、環境を変える道を選んだ。

 その後も18年にはカマタマーレ讃岐、19年にはレノファ山口と、J2クラブで経験を積む。この2年半の間には、ゴールに何度となく絡んだ時期もあれば、出番を失った時期もあった。それでも、保有戦力も練習環境もホームタウンの風土も仙台とは異なる3つのクラブでの経験を通して、業師には少しずつ、心身のたくましさ、視野の広さが備わっていった。

華麗な業師が武骨な職人の表情を

 今シーズン、仙台に戻ってきた佐々木は、自身の成長をこう語る。

「(2年半で)60〜70試合に出た経験は大きかった。その中で、特に人間性の部分で得たものが多かった」

 チームが好調の時、不調の時、それぞれどういった振る舞いができるか。そして、それにふさわしいプレーをピッチ上で体現できるか。これまで以上に考え、実践することが増えたという。それに伴って、プレーに泥臭さ、たくましさが備わっていった。華麗なる業師は、ピッチ上で無骨な職人の表情を見せるようにもなった。

 ここまでの公式戦2試合(リーグ戦とYBCルヴァンカップ)は、いずれも先発出場。相手のプレッシャーを巧みなボールさばきでかわす技術力の高さはそのままに、自分より身体の大きな選手とのぶつかり合いも辞さずにボールを奪ったり、味方のパスコースを強引に切り開くフリーランニングを披露したりするシーンが増えている。

 そして、彼にとって最大の見せ場であるゴール前でも、それまで仙台のトップチームの試合では見られなかったようなプレーをいくつか披露している。

 例えば3月16日、YBCルヴァンカップのグループステージ1節・浦和レッズ戦、60分の場面だ。仙台は早々に守備が乱れ、この時点で2-4とリードを許していた。反撃に出ようとするも、俊足FWジャーメイン良と2トップを組んだ佐々木は、浦和の堅い守備の前に決定機を作れずにいた。

 ボールを持てない時、華麗な技術を繰り出せない時に何ができるか。佐々木は泥臭くクロスに飛び込むことを選択した。ボランチの吉野恭平から右SBの蜂須賀孝治にボールが渡った時、左サイドにいた佐々木はジャーメインと入れ替わって右サイドに走り込む。相手DFも反応して追走してきたが、背番号28は先にクロスに触れるよう強引に身体を入れていた。

「僕は背が小さい(166センチ)のですが、いいところに飛び込むことができました」

 イメージ通りの動きから頭で合わせたシュートはしかし、枠を外れた。

「狙い通りの場所をつけていただけに、自分があそこで決めていたら試合は変わっていました」と、佐々木は責任を背負った。ただそれは、たくましさや泥臭さをプレーで体現できるようになったからこそ作れた決定機であり、だからこそ出た反省の弁でもあった。

梁勇基からこれからの仙台を託されて

 無論、ここまでの公式戦2試合でゴールやアシストといった目に見える結果を出せていないことについては、誰よりも佐々木自身が悔しい思いをしているだろう。

 また、この思わぬ中断期間中には負傷者も復帰し、新たなチーム内競争が発生。リーグ再開後も佐々木が先発出場できる保証はない。だが、2年半の武者修行で新たな武器を手にした彼が、以前よりもチームに刺激をもたらす存在になっていることだけは確かだ。

 仙台で04年から昨シーズンまでプレーしていた梁勇基(現サガン鳥栖)は、佐々木にとってアカデミー時代から背中を追いかけてきた存在だ。トップチームでは3-4-2-1のシャドーのポジションなどを争う中で、あらためてそのすごみを見せつけられることも少なくなかった。梁がチームを去ることが決まった時、いち早く連絡を入れると、佐々木はこのレジェンドからこれからの仙台を託されたという。

 梁は高い技術力の持ち主であった一方で、攻守を下支えする献身的なランニングを欠かさないプレーヤーでもあった。スタイルや体格などの違いはあるが、これからの仙台で、佐々木は梁が見せたようなたくましさも発揮してくれるに違いない。

 今シーズン、ピッチ上で見せたいことを聞かれると、佐々木は再三こんな言葉を口にしている。

「チームのために戦うこと」

 再開後のピッチで、たくましい佐々木の姿が見られると期待している。

(企画構成:YOJI-GEN)
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著者プロフィール

1974年1月8日生まれ。仙台を中心に、全国各地のスタジアムと喫茶店をめぐるJリーグ登録フリーランスライター。なでしこリーグやJFLなども取材する。大学院時代の研究テーマとのつながりから、ドイツ・ブンデスリーガ取材にも赴く。著書に『在る光 3.11からのベガルタ仙台』(スクワッド EL GOLAZO BOOKS)など。

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