野球のエリート街道を歩み続けた喜多隆志 こだわりを捨てて臨んだ“勝負の5年目”
「覚悟はしていた」戦力外通告
5年間のプロ野球人生に悔いなし。戦力外通告を受けた喜多は前向きに将来を見据えていたという 【撮影:スリーライト】
「あの頃はただユニフォームを着ているだけでした。『自分は何をしているんやろう』と……。5年目に入る前、『今年やらないともう最後になる』という覚悟はしていました。何かを変えないといけないと思って、打撃フォームを少し変えました。打撃フォームは自分のこだわりがあったので、新しい取り組みを行うことには抵抗がありましたが、そんなことは言っていられなかったので…」
改革の甲斐があってか5年目は状態が良かったが、なかなか一軍から声は掛からなかった。オフを返上して練習漬けの毎日を送り「悔いのないようやれることはやったし、何かを怠ったとは思っていませんでした」と最善は尽くした。
5年目のシーズンが終わろうとしていた10月1日。球団から携帯電話に着信が入った。
「『来たな』と思いました。覚悟はありました」。来季の戦力外を通告されると同時に、球団からはスタッフとしてチームに残ることを打診されたが、首を縦に振らなかった。最後の挑戦としてトライアウトは受験したが、5打数無安打。「逆にすっきりした感じはしました。むしろ次に向かっていこうという気持ちになりました。競争に勝ち切れなかったのは自分の実力のなさでした」。5年間のプロ野球生活に終止符を打ち、新たな夢でもある“指導者”へ向けて相談するために、喜多は慶大の恩師・後藤寿彦監督のもとへ向かった。
(企画構成:株式会社スリーライト)
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喜多隆志(きた・たかし)
【撮影:スリーライト】