ノックで球児たちと“対話”する喜多隆志 指導者として再び甲子園に立つ日を夢見て
母校・智弁和歌山高の野球部を離れ、新たな夢に向かって歩む喜多隆志。彼が監督を務める興国高グラウンドを訪ねた 【撮影:スリーライト】
※リンク先は外部サイトの場合があります
初めての接客業に四苦八苦
高校、大学時代は野球漬けでアルバイトもしたことがなかったという喜多隆志。初めての接客業での苦労を笑って振り返ってくれた 【撮影:スリーライト】
「ヒマラヤスポーツで勤務しながら岐阜経済大へ教員免許を取りに行くことになったんです。後藤監督が岐阜県出身で、(岐阜に拠点のある)勤務先などをすべて紹介していただいて……」
野球コーナーの一角で、グラブ修理などの受付や販売のため店頭で直接お客さんと接するのが主な業務内容だ。ただ、社会経験がほとんどなかった喜多にとっては何もかもが未知数だった。
「頭を下げることは野球選手としてずっとやっていますが、販売員なのでお客さん優先で考えることが多かったです。レジやクレジットカードのカードリーダーの使い方が難しくて最初は手こずりました。立ちっぱなしで、お客さんと話す。今思えば楽しかったですけれど、苦労はたくさんありました。野球をやっている方がよっぽど楽でしたよ」
教員免許を取るために2年間岐阜経済大へ通い、その後は慶大時代の先輩・林卓史氏が監督を務める朝日大で助教としてコーチに赴任した。当時は、資格復活後は高校の指導者になるには4年間の時間が必要だったが、大学生は2年間で指導が可能だったのだ。
続きはスポーツナビ公式アプリ(無料)で読むことができます。
- アプリケーションはiPhoneとiPod touch、またはAndroidでご利用いただけます。
- Apple、Appleのロゴ、App Store、iPodのロゴ、iTunesは、米国および他国のApple Inc.の登録商標です。
- iPhone、iPod touchはApple Inc.の商標です。
- iPhone商標は、アイホン株式会社のライセンスに基づき使用されています。
- Android、Androidロゴ、Google Play、Google Playロゴは、Google Inc.の商標または登録商標です。
- 前へ
- 1
- 2
- 次へ
1/2ページ