MLB70勝右腕バウアーを変えた出会い “オタク”がドライブラインへ行きつくまで
「ピッチングオタク」だったバウアー
昨年12月、横浜DeNAの練習施設を訪問したバウアー(写真右)。隣はエース左腕の今永 【丹羽政善】
トレバー・バウアー(レッズ)、中学、高校時代の述懐である。
12月2日夜、渋谷の寿司屋。
来日していたバウアーは一緒に食事をした黒木知宏氏(元千葉ロッテ)から、「いつごろからトレーニングや科学的なアプローチに興味を持ち始めたのか?」と聞かれると、「トレーニングに興味を持ったのは中学時代から」と答えた。
そして「朝5時には起きて5時半から室内プールでトレーニングを始め、その頃から体の使い方を考えるようになった。学校が終わると、宿題をしてご飯を食べたら、近くの公園で外灯を頼りに夜10時ぐらいまで一人で練習をしていた」と、当時のルーティンを振り返っている。
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夏休みには「テキサスランチ」という、ヒューストンの郊外にある野球のトレーニング施設へ通ったという。そこでのトレーニングもドライブラインにつながるものがあるが、カリフォルニアに住んでいたバウアー一家にとって、長期間、テキサスに滞在する余裕はない。息子がトレーニングの指導を受ける傍らで、バウアーの父親もコーチらの指導に耳を傾け、その理論を学ぶと自宅に戻ってから息子に教えた。
そんな親子関係は実は今も続く。バウアーが何かに疑問を抱くと、父親が知恵を出す。今ごろバウアーは制球の課題を克服する練習をしているはずだが、そのためのある練習道具を作ったのは父親である。
話を戻すが、その後バウアーは高校に入ると、物理学に興味を持ったという。
「ブリティッシュアクセントの面白い先生がいて、その先生に質問をしまくっていた」
相変わらず友達のいなかったバウアーは、休み時間も一人で物理の本に向き合い、「重力やマグナス効果が、自分が投げる球にどう影響していて、そうした理論をどう野球に応用できるのか考えていた」というから、同級生からはむしろ近寄り難い存在と映ったか。
当時の自分を「オタク」と形容したが、ピッチングオタク・バウアーは、2009年にUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に進学。そのときにはもう、高めの4シームとカーブのコンビネーションが効果的だという、今のトレンドにたどり着いていた。
「今で言うピッチトンネルと同じ原理。高めの4シームと同じ高さからカーブを落とせば、打者は反応できないと考えた」
ただ、時代がまだそこにたどり着いていなかった。捕手が理解できなかったのだ。
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