僕のターニングポイント〜大切な人との物語〜

今永昇太、日本の左腕エースへ “寛容な会社の上司”の願いを乗せて

瀬川ふみ子
アプリ限定

絶望の淵にいた今永へ……恩師の言葉

「ドラフト1位でプロに行く」という夢があったから、今永は試練を乗り越えることができた 【写真:山下隼】

 大学3年秋に駒澤大のエースとして東都大学リーグ優勝、さらに日本一に導き、翌年のドラフト候補として高く評価されるようになってきていた今永昇太だが、4年生になる前の3月、事態が急変する。

 まだ肌寒い中、大学日本代表の選考会に参加した今永は、そこで無理をして投げ、肩を痛めてしまったのだ。

「あのときの選考会には、田中正義(創価大〜福岡ソフトバンク)、上原健太(明治大〜北海道日本ハム)、吉田侑樹(東海大〜日本ハム)、濱口遥大(神奈川大〜横浜DeNA)らがいて、みんな軽く140キロ台後半。田中正義は150キロ超。僕はブルペンで投げたら136キロぐらいしか出なくて……。そんな中、ダブルヘッダー2試合目の(タイブレークを想定しての)延長12回に投げるということで、朝8時にアップして、そこからずっと室内で軽く体を動かしながら待機していたんです。いざマウンドに行くと、ネット裏にはスカウトの方がいっぱい来ているのが見えて、ついスピードを出しにいってしまって肩をやってしまいました。本当に未熟でした」(今永)
 診断名は、「棘下筋(きょくかきん)の肉離れ。腱板の炎症」。

 大学日本代表入りはなくなり、ドラフトに向けて大事な4年春のリーグ戦も投げられず。最初の試合こそベンチ入りをしたが、その後はすべてスタンドで見守ることになった。

「チームに申し訳なさしかなくて、『ただただ頑張ってくれ』『最下位にならないでくれ』って願っていました」

 と同時に、普段は冷静沈着な今永が、ドラフトへの不安や焦りで押しつぶされそうになっていった。

「周りには平静を装っていましたけど、心の中は不安ばかりで。たくさんの人に注目してもらって、すごくいい形でプロに行けると思っていたのに、こんな状態で指名してくれる球団があるんだろうか、大丈夫なんだろうかってことばかり考えていました」

 焦りからか、痛みは治まってきても、元のフォームに戻らない。自慢のストレートも戻ってこない。指にかかる感覚がない。秋季リーグ戦はマウンドに上がったが、前年とは明らかに違う……。

「ずっとおかしいな、おかしいなと。前年のビデオを何度も見返して、今の自分のフォームを見直して、いろんなピッチャーの動画も見て、いろいろやっていったのですが戻らなくて……。僕は良くも悪くも完ぺき主義者なので、『ダメだダメだ、もっといい球を投げなきゃダメなんだ』となって、さらにダメになっていったんです」(今永)

 苦しみ続ける今永を見た西村監督が、ついにこう声をかける。
  • 前へ
  • 1
  • 2
  • 次へ

1/2ページ

著者プロフィール

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント