平野美宇を五輪の夢舞台に押し上げた、知られざる家族の献身サポート

高樹ミナ

卓球の東京オリンピック日本代表に選出された平野美宇、彼女を支えた家族の知られざる献身サポートを母が明かす 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

 卓球のオリンピックイヤーがついに幕を開けた。

 東京五輪でのメダル獲得が大いに期待される今年は「天皇杯・皇后杯2020年 全日本卓球選手権大会」(1月13〜19日・大阪)で始動。東京五輪団体戦の日本代表に内定した平野美宇も女子シングルスで3年ぶり2回目の優勝を狙った。

 しかし、卓球日本一を決める全日本選手権はそう甘くない。5回戦で初顔合わせとなった高校2年生の出澤杏佳にゲームカウント1-4で敗れ、ベスト32という不本意な結果に終わった。

 平野が屈した出澤は国内外で非常に珍しい特殊な異質ラバーの使い手である。平野を含むプレーヤーの多くがラケットの両面に「裏ソフト」と呼ばれるラバーを貼っているのに対し、出澤はフォア面に「表ソフト」、バック面に「粒高」と呼ばれるラバーを使い、平野の威力ある両ハンドドライブを無回転のナックルボールや逆回転で返球する“くせ球”を繰り出してくる。

 初対戦ということもあり、これにすっかり翻弄された平野は、「1本ずつ(打球の)変化が違って、なかなか最後まで慣れなかった。自分のペースにならなかった」と苦戦した試合を振り返った。

「これが精一杯でした」は娘の本心

昨年12月シングルス代表の座を逃し涙を流した平野、母・真理子さんにとって「これが精一杯でした」という言葉が印象的だった 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

 娘の敗戦を複雑な思いで見守っていたのが、山梨から応援に駆けつけた母・真理子さんだった。前週の6日には愛娘の五輪団体戦初代表入りが発表され、歓喜したばかりだった。

「試合中に不利な状況になっても、何とかしのいで勝つしぶとさが美宇に欲しい」

 そう話す真理子さんは平野が3歳半の時、本人にせがまれて卓球を教え、中学入学と同時にJOCエリートアカデミーに入所するまで指導を続けた。つまりトップアスリート平野の土台を築いた指導者である。

 小学2年生以下が対象の全日本選手権バンビの部で優勝した際、インタビューで将来の夢を尋ねられた幼い日の平野が、「オリンピックで金メダル」と初めて口にしたのは小学1年生のことだった。あれから12年。いよいよ夢の大舞台に立てること、壮絶な代表選考レースの末、あと一歩のところで個人戦の出場権を逃したことをどう捉えているのだろう。

「(昨年12月の)グランドファイナルでシングルスに出られないと決まって、美宇がテレビのインタビューで泣いた時、一番印象的だったのが『これが精一杯でした』という言葉。あれは本心から出た言葉だったと思います。この1年間、実力も精神状態も全部含めて精一杯戦ってきた総合的な結果だし、代表選考基準もとてもフェアだと思う。だから、団体戦でオリンピック代表に選んでいただけたことをとても嬉しく思いますし、美宇が自分で勝ち取った結果だとも思います」

 直後は「あの試合で勝っていれば」「あそこでポイントが取れていれば」と考えなかったわけではない。祝福の声をかけてくれる人も気遣いから、「個人戦に出られなくて残念だったけど」と前置きしてから「おめでとう」と言ってくれるそうだ。

 だが今はもう、「団体戦に選んで下さってありがとうございます。オリンピックに向けて頑張ります!」という気持ちしか、家族にも平野本人にもない。

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著者プロフィール

スポーツライター。千葉県出身。 アナウンサーからライターに転身。競馬、F1、プロ野球を経て、00年シドニー、04年アテネ、08年北京、10年バンクーバー冬季、16年リオ大会を取材。「16年東京五輪・パラリンピック招致委員会」在籍の経験も生かし、五輪・パラリンピックの意義と魅力を伝える。五輪競技は主に卓球、パラ競技は車いすテニス、陸上(主に義足種目)、トライアスロン等をカバー。執筆活動のほかTV、ラジオ、講演、シンポジウム等にも出演する。最新刊『転んでも、大丈夫』(臼井二美男著/ポプラ社)監修他。

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