平野美宇を五輪の夢舞台に押し上げた、知られざる家族の献身サポート
五輪代表選考レースの最中に最愛の祖母が他界
最愛の祖母に東京オリンピックのメダルを届けたい 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】
3年間、よく頑張ったね。
とりあえずお疲れ様。
美宇はママの誇りだよ。
すると平野からはこんな返事が返ってきた。
ありがとうございました!
いつも誰よりも応援してくれて力になりました!
シングルスには行けなかったけど
団体戦はチャンスはあると思うので、
選ばれたらメダルが取れるように頑張ります!
「普段は『了解!』とか『頑張ります!』とか一言しか返事をくれないのに、あの子なりに気持ちを言葉にしてくれてすごく嬉しかったです。しかも、一番辛い時ですから」と真理子さん。特に「いつも誰よりも応援してくれて力になりました!」は心に響いたと目を細める。
平野にはもう一人、このメッセージを届けたい人がいた。昨年7月に他界した祖母の故・後藤政子さん(享年80歳)だ。
幼少の頃から孫の試合の応援が生きがいだった。毎年、全日本選手権の会場に足を運ぶのもとても楽しみにしていた。いつも朗らかな笑顔の女性だった。
祖母が亡くなった時、平野はちょうどT2ダイヤモンド・マレーシア大会に出場中で、五輪代表選考レースに響く大事な試合の只中ということで、家族は平野に訃報を知らせなかった。
すでに帰らぬ人となった政子さんと平野が対面したのはマレーシアから帰国した直後。空港に到着した足ですぐに静岡県沼津市にある母の実家へ向かい、ほんの数時間の滞在で最愛の祖母と別れを惜しんだ。通夜にも葬式にも出られず、ワールドツアーの最前線に戻らなくてはならなかった平野の心中は察するに余りある。
身近で娘を支える父が「心のクッション材」に
全日本選手権は不本意な結果に終わったが「チーム美宇」は東京オリンピックに向けて新たなスタートを切っている 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】
そんな娘を最も近くで支えた家族が父・光正さんだった。平野が2018年3月にプロ宣言し、全寮制のJOCエリートアカデミーを1年前倒しで修了したタイミングで山梨から上京。父娘の東京暮らしも今年4月で丸2年になる。
真理子さんには次女・世和さん(高校2年生)と三女・亜子さん(中学3年生)の子育てがあり、自身が営む卓球教室もあることから、内科医である光正さんが職場を変え、山梨から東京へ移る英断を下した。「妻と娘がやってきたことを形にしてあげたい。オリンピックの舞台に立たせてあげたい」という気持ちからだった。
もともと学生時代は卓球をしていて、筑波大学在学時には全日本選手権にも出場した。そのため卓球に明るく、仕事のかたわらナショナルトレーニングセンターで行われている平野の練習に付き添い、国内外の大会遠征に帯同することもある。
「仕事帰りに毎日のように練習に顔を出し球拾いをして、美宇がトレーニングを始めるタイミングで一足先に帰宅し、夕飯の支度をするという日々を送っています」と真理子さん。食事の時には他愛のない会話をほんの一言、二言交わすだけのようだが、外では年中張り詰めている平野が唯一、リラックスできる場所かもしれない。
「愚痴を言ったりぼやいたりしたい時も、相手が家族なら安心ですよね。自分の完全な味方だから。夫はほぼ聞き役みたいですけれども、美宇が厳しい五輪代表選考レースを何とか持ちこたえられたのも、父親が一緒にいてくれたおかげだと思います」
おっとりした性格も父娘はよく似ており、光正さんが「心のクッション材」になったと真理子さん。家族の献身的な支えなくして、平野が夢の五輪代表入りを叶えることはなかっただろう。
全日本選手権で敗退した16日の夜、光正さんも大阪入りし翌日から、平野が所属する日本生命の貝塚卓球場で、1月28日開幕のワールドツアー・ドイツオープンに向けて練習を始めた。そこには真理子さんの姿もあった。親子3人が練習の場に揃うのは珍しい。
平野本人とコーチ陣を含めた「チーム美宇」は東京五輪までの残り半年、「燃え尽きて灰になってもいい」という決死の覚悟で団体戦金メダルへの貢献を誓う。