ベテラン記者が選ぶ、五輪の名シーン 歴史を作った日本選手の戦いを振り返る

折山淑美
 7月24日に東京五輪の開幕まで残り1年の節目を迎える。“平和の祭典”で生まれた数々のドラマを、長年五輪取材を続けてきたスポーツライターの折山淑美氏が振り返る。

 初取材だった1992年バルセロナ大会以降、感動する場面が多々あったのが五輪だった。歴史を作った選手や、その道を切り開いてきた選手たち。彼ら・彼女らはそれぞれのし烈な戦いの場でさまざまな感動と、価値ある成果を見せてくれた。

2008年北京 競泳・北島康介:見せた王者の戦い

男子100メートル平泳ぎで優勝し、雄たけびを上げた北島康介。この瞬間、2大会連続2冠はほぼ確実となったと折山氏は振り返る 【Photo by Adam Pretty/Getty Images】

 2008年北京五輪男子100メートル平泳ぎ決勝。前日の準決勝では、ダーレ・オーエン(ノルウェー)が世界記録に0秒03まで迫る59秒16を出していたのに対し、北島康介は59秒55と予選より0秒03タイムを落としていた。だが、不安気な様子はみじんもなかった。前回のアテネ五輪後は落ち込む時期こそあったものの、ギリギリで仕上げて200メートルとの2冠を獲得した4年前とは違っていた。泳ぎ込みの最中だった6月のジャパンオープンの200メートルで、2分07秒51の世界記録を出した自信があった。「体調を合わせた北京では、自分の泳ぎさえすれば58秒台は出る」という思いは揺らがなかった。

「ひとかき、ひとかきを正確に、丁寧にリズムよくやろうと思っていただけ」という北島は、平井伯昌コーチの「勇気をもって、最初からゆっくり大きくいけ」という指示通りに、決勝では前半の50メートルを自身最小ストローク数の16で泳いだ。そしてゴールタイムも想定通りの58秒91。世界記録で優勝を勝ち取った。

 平井コーチは「大きく泳げと言っても、周りが速い動きをしていると焦るもの。康介の度胸の良さにあらためて感服した」と話した。その瞬間に北島の2大会連続2冠は、ほぼ確実なものになった。まさに王者の戦いだった。

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2004年アテネ 体操男子団体:勝つべくして勝った戦い

アテネ五輪の体操男子団体。日本が追求してきた“美しい体操”が、28年ぶりの金メダルとして結実した 【写真:ロイター/アフロ】

 予選は2位米国に1.715点差をつけてトップ通過した日本男子体操団体。だが、決勝1種目めのゆかでは、3人中2人にミスが出るなどで得点を伸ばせず28.311点。この時点で1位の米国とは0.826点差。鉄棒から始めた他の4チームを含めると7位スタートと予想外の結果になった。

 しかし、選手たちは動揺しなかった。あん馬では03年世界選手権種目別王者の鹿島丈博が、つり輪では「自分が貢献できるのはこの種目」とつり輪に特化して強化してきた水鳥寿思がきっちり役割を果たして順位を上げた。そして5種目めの平行棒終了時点ではミスをした首位・ルーマニアを0.063点差まで追いつめていた。

 上位3チームが僅差でひしめき合う最後の鉄棒では、ルーマニアが2人落下して脱落し、2位日本と0.062点差の3位につけていた米国は、2選手が価値点を落とす安全策をとった。

「鉄棒は得意だから少し安心していたが、何があるか分からないので足が震えていた。でも、選手たちは金メダルを取りたい気持ちで全く動じていなかった」と加納実男子監督は言う。最初の米田功と2番手の鹿島が着地をピタリと決めて9.787点と9.825点を出したところで優勝は確実になった。8.962点を出せば優勝という状況で安全な構成にしたエースの冨田洋之も、離れ業のコールマンをきれいに決めると着地をピタリと止めて9.850点。悲願の団体の王座を、28年ぶりに奪還した。冨田は「自分たちがやってきたことが実ったという気持ち」と話す。勝つべくして勝った戦い。追求してきた“美しい体操”への道が完結した瞬間だった。

1996年アトランタ 柔道・野村忠宏:V3へと踏み出す1つ目「金」

五輪3連覇を果たした柔道の野村忠宏も、五輪初出場のアトランタは“ノーマークの存在”だった 【写真は共同】

 96年アトランタ五輪の柔道。開会式で旗手を務めた前回バルセロナ五輪女子48キロ級・銀メダリストの田村亮子は、「今度こそ」と期待を一身に背負っていたが、決勝では伏兵のケー・スンヒ(北朝鮮)を相手に攻めあぐね、残り23秒で効果を奪われて負けていた。そして競技最終日。その悪夢を吹き飛ばすような鮮やかな一本勝ちで日本男子2個目の金メダルを獲得したのは、男子60キロ級の野村忠宏だった。

 まだ21歳で初代表と、ビッグネームがそろった日本男子の中ではノーマークの存在だった。「日本を出発する時には、空港で田村選手を追いかけるカメラマンに突き飛ばされたのが悔しかった」と言ってニヤリとする。

 五輪初挑戦でも自分らしい攻めの柔道を貫いた野村は、初戦の2回戦を大外刈りで一本勝ちすると、3回戦は優勢勝ちし、準々決勝は背負い投げ。準決勝の対ナルマンダク(モンゴル)戦は早めの時間で効果を奪うと、残り1分54秒で内股をさく裂させて一本勝ちと快進撃。決勝ではジォビナッツォ(イタリア)を4分33秒に背負い投げで仕留めて柔道最終日を締めくくった。

 強くてきれいな柔道を世界に見せつけた野村。これがその後の夢と五輪3連覇へ踏み出す第一歩だった。

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著者プロフィール

1953年1月26日長野県生まれ。神奈川大学工学部卒業後、『週刊プレイボーイ』『月刊プレイボーイ』『Number』『Sportiva』ほかで活躍中の「アマチュアスポーツ」専門ライター。著書『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『高橋尚子 金メダルへの絆』(構成/日本文芸社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)ほか多数。

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