連載:“近鉄OB同窓会”令和だから言えるアレコレ

令和も語り継がれる猛牛軍団の軌跡 近鉄バファローズを知る12のキーワード

ベースボール・タイムズ

89年、本拠地・藤井寺球場でダイエーを下しリーグ制覇。胴上げをされる近鉄・仰木監督(当時) 【写真は共同】

 昭和の終わりから平成初期にかけて日本中を熱狂させたプロ野球チームがあった。その名は近鉄バファローズ。「いてまえ打線」と呼ばれた豪快な打線を武器に西武黄金時代にあったパ・リーグに旋風を巻き起こした。令和2年の今、あらためて12個のキーワードからその歴史を紐解く。

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【その1】10・19

 1988年10月19日に川崎球場で行われた「ロッテ対近鉄」のダブルヘッダー。近鉄はシーズン最後となったこの日の2試合に連勝すればリーグ優勝が決定するという状況(引き分けは不可)。第1試合は「ダブルヘッダー第1試合は延長なし」という規定の中、近鉄が3対3の同点で迎えた土壇場の9回表に、代打・梨田昌孝が決勝タイムリーを放って劇的な勝利を飾る。第2試合も緊迫の試合展開となって4対4のまま延長戦へ突入し、延長10回で「試合開始から4時間を経過したイニングで打ち切り」の規定によって引き分けのまま試合終了。近鉄はゲーム差なし、勝率差わずかに1厘4毛でV逸。ダブルヘッダー2試合の合計時間は7時間33分だった。

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【その2】9分間の抗議

「10・19」のダブルヘッダー第2試合の9回裏、近鉄は無死一、二塁のピンチでマウンド上の阿波野秀幸が二塁へけん制。送球が高めに浮いたが、二塁手・大石第二朗がジャンプして捕球すると、そのまま走者の古川慎一にタッチし、新屋晃塁審はアウトを宣告した。しかし、このプレーに古川が抗議し、さらにロッテ・有藤通世監督がベンチから飛び出して、大石が古川を押し出したことによる「走塁妨害」を主張した。「時間切れ」が迫る中、近鉄ベンチからは仰木彬監督もグラウンドへ。早急な試合再開を訴えたが、有藤監督の抗議は9分間に及び、スタンドからは罵声と怒号が飛び交った。

【その3】全国放送

 近鉄の優勝がかかった「10・19」は、テレビ朝日系列で地元・大阪に本社を置く朝日放送(ABC)が第1試合開始から完全生中継を実施。当初は関東地方向けに第2試合を中継する予定はなかったが、試合が劇的な展開となった中、視聴者から中継実施、延長を求める声がテレビ局に殺到。局側は第2試合途中の21時から全国放送に踏み切った。中継はCMなしのまま続き、22時開始だった『ニュースステーション』でも放送内容を急遽変更して野球中継を続行。近鉄ファン、野球ファンだけでなく、全国の一般視聴者が「10・19」の目撃者となった。

【その4】10・12

 近鉄が惜しくも優勝を逃した翌年、1989年は近鉄、西武、オリックスによる激しい優勝争いが展開され、大混戦のまま10月12日・西武球場の「西武対近鉄」ダブルヘッダーを迎える。近鉄は第1試合を0対4の劣勢からブライアントがソロ、満塁、ソロと3本の本塁打を放って6対5で勝利。続く第2試合でもブライアントが4打数連続となる一発から打線が爆発し、14対4で勝利した。これで近鉄は首位浮上、ゲーム差なしでオリックス、1ゲーム差の3位に西武という状況となり、近鉄に優勝マジック2が点灯。その後、オリックスが13日のロッテ戦に試合に敗れ、近鉄は14日に福岡ダイエーを下して9年ぶり3度目のリーグ優勝を果たした。

【その5】巨人はロッテよりも弱い

 1989年の日本シリーズは、仰木彬監督率いる近鉄と藤田元司監督率いる巨人の対戦となった。近鉄は本拠地・藤井寺での第1戦、第2戦を連勝。さらに敵地・東京ドームに場所を移した第3戦では3対0の完封勝ちを収め、早くも日本一に王手をかけた。すると、その試合終了直後のヒーローインタビューで、先発して6回1/3を3安打無失点に抑えた加藤哲郎が「シーズン中の方がしんどかった」、「(巨人打線は)大したことなかった」などと発言し、その後の取材でも強気の受け答え。すると、翌日のスポーツ紙に「巨人はロッテより弱い」の文言が踊った。この言葉に奮起した巨人が、そこから怒涛の4連勝。近鉄は「加藤発言」(実際には発言していないが…)からシリーズの流れを失う結果となった。

【その6】仰木彬

 球史に残る名将。現役時代は三原脩監督率いる西鉄の正二塁手として活躍。引退後、西鉄のコーチを経て三原監督のもとで1970年から近鉄のコーチを務めた後、88年に監督就任。近鉄の監督を5年(優勝1回、Aクラス5回)務め、94年から2001年と球団合併直後の05年にオリックスの監督を務めた(優勝2回、Aクラス6回)。酒席での豪快なエピソードが多い反面、野球ではデータを重んじ、適材適所に選手を配置して日替わりでヒーローを生む采配は「仰木マジック」と呼ばれた。車を運転せず、球場へは電車やタクシーを使って移動していたことでも知られる。2004年野球殿堂入り。2005年12月、70歳で逝去。

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著者プロフィール

プロ野球の”いま”を伝える野球専門誌。年4回『季刊ベースボール・タイムズ』を発行し、現在は『vol.41 2019冬号』が絶賛発売中。毎年2月に増刊号として発行される選手名鑑『プロ野球プレイヤーズファイル』も好評。今年もさらにスケールアップした内容で発行を予定している。

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