連載:高校サッカー選手権 あのヒーローはいま

規格外のフットボーラー石塚啓次 いまだから明かせる高校、Jリーグ秘話

栗原正夫

金髪、ピアスで残した強烈なインパクト

選手権でプレーしたのはわずか20分ほど。にもかかわらず、石塚啓次(中央)は強烈なインパクトを残した 【写真:山田真市/アフロ】

「ホンマに忘れっぽいし、いい話もできないけど。それでもよければ、どんどん突っ込んで聞いてください。あんまり時間もないけど……」

 待ち合わせの店で初めて顔を合わせると、石塚啓次はそう言ってほほ笑んだ。

 少し意外だった、と言えば、失礼かもしれない。だが、引退後はほとんどサッカーに関する取材を受けてこなかった彼から、まさかこんな貴重な取材機会をもらえるとは想像だにしていなかった。それだけに、こちらの心中はうれしさ半分、戸惑い半分というところだったが、取材が始まるとその時間はあっという間に過ぎていった。
 元Jリーガー石塚啓次の名は、選手時代よりも引退後にアパレル業界での活躍やスペイン・バルセロナへ渡って飲食業を営んでいることなどで度々報じられてきた。だが、そもそも彼の名が全国のサッカーファンに知られるきっかけになったのは1993年1月、第71回高校サッカー選手権・決勝でのことだった。

 決勝のカードは、国見対山城。まさかの快進撃を見せた京都・山城の背番号7をつけた石塚が、その大会でプレーしたのは決勝のわずか20分ほど。だが、短い時間のなか、ダイナミックなプレーと金髪にピアスという風貌で強烈なインパクトを残したことは、いまでも語り草となっている。

「どやったっけなー」とはにかむ石塚の頭の中に、当時の記憶はどう残っているのか。

 三浦淳寛(当時の登録名は三浦淳宏。元日本代表、横浜フリューゲルスなど)や永井篤志(元モンテディオ山形など)などを擁した国見との決勝は、前半に1点、後半にもさらに1点を奪われる形で試合は進み、大会前のガンバ大阪Bチームとの練習試合で 右足小指の亀裂骨折の故障を負っていた石塚がピッチに入ったのは後半18分のことだった。

 実況アナウンサーが「ついに石塚登場」と言えば、チームメートも石塚を拍手で迎え、国立競技場のスタンドもにわかにザワつくなど、その交代劇はまるで“救世主の来臨”をも思わせた。司令塔の石塚の投入と同時に、山城はリズムを取り戻した。ただ、2点のビハインドは重く、山城は懸命な反撃も空しく0-2のまま敗れた。

 石塚がボールを持つたびにスタンドは揺れ、その華麗なボールタッチひとつひとつに大歓声が上がった。一方で、石塚の独創的なプレーをよそに、茶髪にピアスという出で立ちが高校生らしくないとクローズアップされ、思わぬ批判の声が沸き上がった。

「ふてぶてしい、ってね。1回戦か2回戦のときも、ベンチ脇でふんぞり返っていたら、それが噂になったりして。でも、俺にとってはサッカーしたいのにできひんってなって、それでも見てなあかんって拷問みたいなもんやん。だから、超ふて腐れてて。学校にもあとからクレームが来たらしいけど、何も別に……。

 だいたい、山城は京都の公立校で、金髪、ピアスは(当時は)普通やし。パーマあててるヤツだっておったし、全国大会に行ったから急にやれ金髪だって言われても何を言ってはんのって(笑)。相手が(チーム全員が坊主だった)国見だったから際立っていたんちゃうかな。金髪って言われても、安い脱色剤を使って軽く髪の色を抜こうと思ったら、そのまま寝てもうてえらい色になってしまっただけ。黒に染め直す金もないし、もうこれでいくしかないやろって(笑)」

ケガを押しての強行出場、その胸中は…

決勝は強行出場。快進撃を見せるチームを石塚は複雑な思いで見ていたという 【写真:山田真市/アフロ】

 どんなプレーをしたかは、まったく覚えていない。ただ、サッカーしかしてこなかった石塚少年にとって、国立での決勝は夢舞台だったと振り返る。

「そりゃ、うれしいでしょ。決勝まで間近で見ながら出れへんかったわけだし。確か準決勝くらいで監督に『記念で一回出るか?』って言われても、『出るわけないやろ』って感じやったけど、決勝前にもう一度『出るか?』って言われたら、『ほな、出よか』みたいになって。そんなに簡単に出るのもカッコ悪いってのがあったけど、決勝ならいいかみたいな(笑)。ただ、スパイクもユニホームも持ってなくて兄貴に新幹線で持ってきてもらったんちゃうかな。それで決勝に出たら、なぜか盛り上がってしまって。実際、足はすげえ痛かったけどね」

 ピッチに出るときは「クールにせなあかんって、難しそうな顔してね(笑)」と当時を思い出す石塚だが、胸の内では、普通にいけば1回戦か2回戦で負けたであろう山城が、エースの自分を欠いたことで団結し、まさかの快進撃を見せたことに「なんで?」という複雑な思いもあったという。

 山城は初戦の郡山(福島)戦に8-0と快勝すると、2回戦で桐蔭学園(神奈川)、準々決勝では四日市中央工(三重)にいずれもPK戦で競り勝ち、準決勝では名門・習志野(千葉)を2-1と退けるなど、強豪校を次々に連破し決勝まで駒を進めていた。

「それまで中心でやってた俺がいないのに、なんで勝ってんの? おかしいなって(笑)。そこは面白くないわな。なんで勝つんだチクショウって。でも、短期決戦はノッたもん勝ち。それが、おもろいところなんやろうな」

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著者プロフィール

1974年生まれ。大学卒業後、映像、ITメディアでスポーツにかかわり、フリーランスに。サッカーほか、国内外問わずスポーツ関連のインタビューやレポート記事を週刊誌、スポーツ誌、WEBなどに寄稿。サッカーW杯は98年から、欧州選手権は2000年から、夏季五輪は04年から、すべて現地観戦、取材。これまでに約60カ国を取材で訪問している

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