花園に出ずに日本代表へ上り詰めた具智元 不安だった高校時代をどう乗り越えたか

向風見也
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 今やらなければならないことを、毎日、必死にやる。簡潔な生きざまで大輪の花を咲かせたのが、ラグビー日本代表の具智元だ。身長183センチ、体重122キロと恵まれた体格の右プロップだが、彼は花園ラグビー場を舞台に行われる全国高校ラグビー大会に出ていない。元韓国代表の具東春氏を父に持ち、中学2年の時に来日。高校は大分県の日本文理へ進むが、当時は県内の強豪校に歯が立たず、なにより自分自身が「不安なまま」、日々の練習をしていたという。しかし特筆すべきは、不安のなかでも「すべきこと」を止めなかったことだ。2019年、念願叶ってラグビーワールドカップ(W杯)日本大会に出場。スクラムを支え続けて史上初の8強入りに貢献し、現在はホンダの一員としてトップリーグ開幕に備える具が、改めて中学、高校時代を語ってくれた。

堀江選手の「いるよー」がなければ怖くて…

先のW杯では全5試合に出場。特に印象深いのが、強豪アイルランドのスクラムを押し返したシーンだが、同じく「花園」を経験していない堀江選手のサポートが大きかったと具選手は振り返る 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

――まずは、日本代表の話を聞かせてください。W杯前の合宿はかなりきつかったのではないですか。

 6〜7月にあった宮崎での候補合宿は、朝8時から練習が始まって、終わるのは夜の9時、10時になることもありました。それでも、W杯のメンバーに選ばれたい気持ち、W杯で結果を残したい気持ちがあったからでしょう。手を抜く人は一人もいなかった。僕も気を抜けなかったし、頑張るしかなかったです。

――特に刺激を受けた選手は。

 堀江翔太さん(現パナソニック)です。同じ部屋だったんですけど、練習をちゃんとやるのはもちろん、その後のケアもしっかり。これがプロだという感じでした。

――34歳でフッカーの堀江選手とは、2016年に発足したサンウルブズ(国際リーグのスーパーラグビーに日本から参戦)で出会っています。
 
 翔太さんがいるから、W杯でもスクラムに自信を持てました。それに僕は、スクラムコーチの長谷川慎さんが教えてくれたスクラムを信じていました。本番ではそれまでより距離(相手との間合い)が空くらしいよと言われていたけど、宮崎でいろいろな練習をしていたからあまり不安はなかったです。数もすごく、組んできたので。加えて試合中は、隣のポジションの堀江さんがいろんなことを話してくれた。それで、もっともっと自信が生まれたんです。

――9月28日、静岡のエコパスタジアムでのアイルランド戦。前半35分、自陣深い位置での相手ボールスクラムで反則を奪います。鋭角に仕掛ける相手の左プロップ、キアン・ヒーリー選手を具選手が押し返したのですが、その間もずっと堀江選手が「いるよー、いるよー」と声掛けをしていたそうですね。「いるよー」とは「ずっと密着しているから、思い切ってヒーリーと勝負していい」という意味に近かった。

 そうです。本当にそれです。その「いるよー」がなかったら、(日本のスクラムがバラバラになるのが)怖くてあまり前に出られなかったかもしれないです。

高校1年までは走れないし、毎日怒られてばかり

――その劇的なスクラムを組んだ堀江選手と具選手には、花園での全国高校ラグビー大会に出場していないという共通点があります。ここからは現在25歳の具選手に、その足跡を振り返っていただきます。日本へやって来たのは、中学2年生の終わり頃。父で元韓国代表プロップの東春さんに勧められたためです。

 自分とお兄ちゃん(智允=現ホンダ)、そしていとこの子が一緒でした。学校はお父さんが探してくれていて、先に高校(大分の日本文理)が決まったのですが、留学生を受け入れてくれて、お兄ちゃんと一緒に通える中学校がなかなか見つからなかったんです。結局は佐伯市の鶴谷中学校に、いとこと通うことになりました。

 日本に行く時、韓国の友だちから「いじめられるかもしれないぞ」と言われていましたがみんな親切でした。
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著者プロフィール

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとなり、主にラグビーに関するリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「スポルティーバ」「スポーツナビ」「ラグビーリパブリック」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。

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