松田力也の涙に松島幸太朗の独走トライ ラグビージャーナリストの「花園史」

向風見也
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 自身も大学までラグビーを続け、現在はラグビージャーナリストとして活躍する村上晃一氏にとって、花園での全国高校ラグビー大会は「感動を得られる場所」だという。今回は、その長い取材生活を通して深く印象に残っている花園のエピソードをいくつか披露していただいたが、そこにはジャーナリストならではの視点がふんだんに盛り込まれていた。さらに事情通の村上氏には、いよいよ開幕する今年の大会の見どころも、あわせて伺った。

風邪をひいて決勝を戦った堀越正巳

日本代表のスクラムハーフとして、二度のW杯に出場した堀越氏。熊谷工3年時の花園では準優勝に終わったが、決勝当日の彼は体調不良だったという 【写真:築田純/アフロスポーツ】

──村上さんは京都生まれ。同じ関西の花園ラグビー場は、幼少期から馴染みのあるグラウンドだったのではないでしょうか。

 小さい時、元旦は必ず父親に花園へ連れて行ってもらっていました。「本当に身近な存在だけど、なかなかそこでプレーするのは難しい」というのが、関西のラグビー選手にとっての花園です。高校時代は「目指している」と口にするのもはばかられたけど、大阪体育大に入ってからはよく関西大学Aリーグの試合をしましたし、花園を本拠地にする近鉄と合同練習をすることもありました。ただ、合同練習の時はメインの第1グラウンドには滅多に入れず、周辺の第2、第3グラウンドを使うことが多かったですね。

 大学を卒業してから、『ベースボール・マガジン』社のラグビーマガジン編集部に入りました。初めての花園での全国高校ラグビー大会の取材で、最寄りの東花園駅を降りた瞬間、ぐーっと緊張してきたのを覚えています。選手として試合に行く時と同じ感覚になったんです。それが3〜4年は続いたかな。

 当時はスタンドの下のスペースにお風呂がひとつしかなくて、いろんなチームの選手がお風呂場とロッカールームを裸で行ったり来たり。なかには負けて泣いている選手もいて、その狭い通路には報道陣もいる。混沌としていたのをすごく覚えています。

──当時の取材で印象的だったことはありますか。

 3つのグラウンドをぐるぐる回って取材していました。試合というより、試合後に聞いた話や、目にしたシーンが記憶に残っています。
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著者プロフィール

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとなり、主にラグビーに関するリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「スポルティーバ」「スポーツナビ」「ラグビーリパブリック」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会も行う。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。

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