球界から来た新社長を現場はどう見たか? Jリーグ新時代 令和の社長像 山形編

宇都宮徹壱

なぜ相田社長は「山形の坂本龍馬」なのか?

クラブハウスで取材を受けてくれたモンテディオ山形の相田社長 【宇都宮徹壱】

 モンテディオ山形の事務所がある、山形県総合運動公園。クラブの広報スタッフに案内されて、新しいクラブハウスの建設予定地を見学させてもらう。現在のクラブハウスは老朽化が著しく、加えてクラブ発足時に比べて手狭感も否めなかった。そこで練習グラウンドのすぐ近くに、敷地面積1377.5平方メートル、延床面積約1200平方メートルの2階建てのクラブハウスを建設するプランが浮上。今年の夏にプロジェクトは具体化し、11月に記者発表を行い、完成は来年5月だという。

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新しいクラブハウスの建設予定地。練習グラウンド(奥)のすぐ横に来年5月に完成する予定だ 【宇都宮徹壱】

 クラブハウスの建設を請け負っているのは、山形で不動産と建築業を営み、今年からクラブとパートナーシップ契約を締結している、株式会社クリエイト礼文。CEOの渡辺晃は、山形の社長となった相田健太郎のキャラクターに惚れ込んでパートナーとなり、新クラブハウスの建設についても迷うことなく引き受けたという。幕末史が大好きだという渡辺CEOは、相田について「山形の坂本龍馬になり得る人物」と力説する。

クリエイト礼文の渡辺晃CEOは、相田社長を「山形の坂本龍馬になり得る人物」と力説してくれた 【宇都宮徹壱】

「坂本龍馬はペリーの黒船を見て『今のままでは日本の将来は危うい』と思ったわけですよ。それで海援隊を組織したり、勝海舟と面会したりするわけですが、龍馬が主張していたのは『船がないと外国には勝てない。お金がないと船は買えない』というものでした。要するに、まずはお金が必要だ、という話ですよね。今の山形も、これまでスポーツをビジネスにできる人がいなかった。そこに登場したのが、相田社長。まさにあの人が『龍馬』であり、クラブハウスは『船』。そのお手伝いができるのがうれしいですね!」

 当の相田が、今回のプロジェクトにゴーサインを出したのは、スタッフの具申がきっかけであった。「クラブハウスの改善が急務です」ということで、実際に見てみると「これは変えなくてはいけない」と新社長も痛感する。「選手が日常を過ごす場所がしっかりしていないとダメだと思ったんです。今のクラブハウスのままでは、新しい選手を獲得するのも、出ていこうとする選手を慰留するのも難しい」──。それが相田の考えであった。

最初の変化は運営会社の株式会社化

15年間、山形の現場一筋で働いてきた佐々木マネージャーも、相田社長就任後の変化を感じているという 【宇都宮徹壱】

 相田の社長就任以降、山形の平均入場者数が一気に増えたことは、すでに述べたとおり。これと関連して注目したいのが、チームの成績である。山形は15年にJ1に昇格したものの、わずか1シーズンでJ2に降格。以降は成績が振るわず、16年は14位、17年は11位、そして18年は12位と2桁順位が続いた。ところが今季は6位でシーズンを終え、5年ぶりにJ1参入プレーオフ進出。木山隆之が監督に就任して3シーズン目ということで、もちろん積み重ねてきたものもあるだろう。だが、躍進の要因はそれだけではない。

「確かに木山監督の戦術が、チームに浸透してきたとわれわれも感じています。でも、現場の人間としては、相田社長の就任も大きなきっかけになったと思います。今季開幕戦は岐阜で前泊となりましたが、その時に帯同されていた社長が、試合当日のミーティングで『皆さんはサッカーに集中してください。お金の心配はしないで下さい』とおっしゃったんです。それを聞いて『選手・監督のことを一番に考えている方なんだな』と思いましたね」

 そう語るのは、主務の佐々木雅博である。地元の高校を卒業して、99年に山形に練習生として加入。その後、スペイン、JFLでのプレーを経て04年で現役を終えると、翌05年から山形のスタッフに迎えられた。最初の10年はサブマネージャー、そして15年から現職。この15年間、山形の現場一筋で働いてきた。そんな佐々木にとって、第1の変革期となったのが運営会社の株式会社化。13年にアビームが経営に参画することで、それまで半官半民の組織だった山形は、真のプロクラブへの道を歩み始めることとなる。

「山形県スポーツ振興21世紀協会からトップチームが分割されて、やまがたスポーツパークとの合併で設立されたのが株式会社モンテディオ山形。つまり、現在のトップチームの運営会社です。会社設立と同時に、やまがたスポーツパークの事業を受け継ぐ形で、総合運動公園の指定管理者にもなりました。それまで練習グラウンドの確保に苦労していましたが、スムーズに調整できるようになりました。現場の雰囲気も『それは難しい』から『やってみようか』に変わっていきました」

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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