連載:川内優輝物語 -ゴールなきマラソンマン-

川内優輝物語 -ゴールなきマラソンマン- 第8話 名声と引き換えにしたもの

栗原正夫
アプリ限定
今季、「市民ランナー」から「プロ」へと転向をした川内優輝。マラソンの原点から世界陸上、そしてその先へと続く彼の人生に迫ったノンフィクションストーリー。イラストは川内のバイブルともいえる漫画『マラソンマン』の井上正治が描き下ろし。

※リンク先は外部サイトの場合があります

抜き打ちで行われるドーピング検査の実態

 ドン!! ドン!! ドン!!

 AM5時だったか6時だったか。海外に滞在していたある日の早朝、宿泊先のホテルのドアがたたかれた。

 通常なら驚くところかもしれない。ただ何が起きたかすぐにピンとくると、ベッドから出てドアを開ける。すると、そこにはスーツを着た白人の紳士が2人、大きなカバンを抱えながら立っていた。

「ドーピング検査です」

【(C)井上正治】

 一般の選手なら、早朝の客人の訪問、そして矢継ぎ早に英語で質問されるシチュエーションに呆気にとられてしまうかもしれない。だが、97回のマラソン経験(2019年9月20日現在)を誇る川内優輝にとってはすっかり慣れたものである。ドーピング・コントロールは、どんな競技の選手でもトップレベルになれば義務化されており、マラソン選手も例にもれない。

 ドーピング・コントロールは基本、抜き打ちで行われる。そのため選手はあらかじめ各競技の団体などを通じて検査機関に自身の居場所を明確にし、確実に滞在している時間帯などを知らせなければならない。日中は仕事やトレーニング、食事などで滞在先を留守にする可能性が高いため、多くのアスリートは仕方なしに早朝や深夜の時間帯に設定している。そのため、検査員がやってくるのは自然と選手にとっては“迷惑な”時間帯になってしまうのだ。

 いまでこそドーピング検査は、決して楽ではないものの、手際よく済ませられるようになった。ただ、初めてとなれば緊張もあり、そうはいかない。

 川内にとって最初のドーピング検査は初の海外遠征だった08年、大学4年時のニューカレドニア・モービル国際マラソン(ハーフ)に出場した際だった。いまでは笑い話だが、検査員がずっとそばにいる状態で、尿が出るまでに3時間以上掛かった苦い経験がある。
  • 前へ
  • 1
  • 2
  • 次へ

1/2ページ

著者プロフィール

1974年生まれ。大学卒業後、映像、ITメディアでスポーツにかかわり、フリーランスに。サッカーほか、国内外問わずスポーツ関連のインタビューやレポート記事を週刊誌、スポーツ誌、WEBなどに寄稿。サッカーW杯は98年から、欧州選手権は2000年から、夏季五輪は04年から、すべて現地観戦、取材。これまでに約60カ国を取材で訪問している

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント