パラカヌー瀬立モニカと地元の絆 東京で一番幸せなパラアスリートへ

瀬長あすか

日本代表になって、自分を誇りに

障がいを負いながらも自分に誇りを持てるようになった、2015年の日本代表選出。瀬立は「カヌーをやれていて本当に良かった」と話す 【写真は共同】

 すぐに病名がわからなかったこともあり、その状況を受け入れるのに時間はかかった。リハビリを経て復学したが、慣れない車いす生活は何かと人目が気になり、気楽に外出することもできなかった。約1年後、当時江東区カヌー協会事務局長だった小宮次夫氏の誘いでカヌーを再開したわけだが、車いすで堂々と日常生活を送ることができるようになったのはその後だ。

「2015年に初めてパラカヌーの世界選手権に出場し、日本代表になったことで自分に誇りを持てるようになりました。当時は電車とかで迷惑そうな顔をされると嫌だなあと思っていたのですが、目指すものが決まったら自信もついてきて……カヌーをやれていて本当に良かったなと思っています」

 同年には艇を漕ぐ際に体を固定させる瀬立専用のシートも作製し、瀬立の練習を楽しいものにしてくれるという西明美コーチらと技術力を磨きながら筋肉量も増やし、200メートルのスプリントで競うタイムを縮めていった。

 そんな彼女を、所属する江東区カヌー協会など地元が全面バックアップ。前途の小宮氏は練習拠点のひとつである旧中川の目の間に本社がある『パラマウントベッド』にスポンサーになってもらえるよう何度も足を運び、高価だが競技力向上に欠かせないシートや艇の購入費、遠征費などに充てた。

地元の星を支える「チームモニカ」

 屈託のない笑顔で周囲の人を惹きつける。そんな瀬立のキャラクターもあるのだろう。地元の星をサポートしようという輪は広がり、いつしかそれは「チームモニカ」と呼ばれるようになった。

 シートを作製・調整する川村義肢の職人、コーチ、そして母。リオにも足を運んだチームは、瀬立をモチーフにしたイラスト入りのTシャツを着ていた。

「ピンクのおそろいのTシャツは、会場の遠くからでもみんながどこにいるかすぐにわかりました。団結力を感じますね」と瀬立は胸を張る。

 実はそのイラストを始め、艇に描かれた波も桜も、キヌ子さんが瀬立の保育園の“ママ友”に頼んで作製したもの。

「幼なじみのお母さんが描いてくれたというのが何よりうれしかったです」

会場が“モニカコール”で包まれたら……

地元・東京で迎える来年のパラリンピック。力強い後押しを受け、瀬立は躍進する 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 東京開催のパラリンピックがいよいよ来年に迫った。大学も休学してトレーニングに集中する瀬立だが、それでも区内の中学から依頼される講話はできるだけ引き受けるという。それはもちろん江東区の人たちに応援に来てほしいからだ。今度は地球の裏側ではなく、地元が会場。「マンションや近所の人たちもみんな応援に行くって言ってくれていて」とキヌ子さんもうれしい悲鳴を上げる。

「東京パラリンピック会場が“モニカコール”で包まれたら、きっと心強い味方になってくれると思います」

 来年の9月、地元の大声援を受けて、瀬立は東京で一番幸せなパラアスリートになるはずだ。

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著者プロフィール

1980年生まれ。制作会社で雑誌・広報紙などを手がけた後、フリーランスの編集者兼ライターに。2003年に見たブラインドサッカーに魅了され、04年アテネパラリンピックから本格的に障害者スポーツの取材を開始。10年のウィルチェアーラグビー世界選手権(カナダ)などを取材

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