父は浦和レッズのレジェンド、横浜F・マリノスの広瀬陸斗が歩んだ道
柔らかいボールを与えた父の狙い
幼いときから父親に与えられた柔らかいボールで遊んでいたことで、広瀬の技術は磨かれた 【佐野美樹】
「1歳くらいになって歩けるようになったころかな。柔らかいボールを渡して『家の中ではドリブルしながら遊んで移動しようね』と。これは僕も子どものころ、親に言われてやっていたことで、ドリブルしなくても怒らないし、投げても構わない。だから約束ではないし、ルールでもない。でも運動しかやってこなかった自分の子どもなので、サッカー以外でも何かスポーツはやるだろうと思っていました。それならば幼いときから神経系の働きを活発にしておいたほうがいいし、アジリティの面でも効果がある。そうすれば何でもできるようになるので」
すると陸斗は家の中で常にボールと行動を共にするようになった。トイレやお風呂にもドリブルで移動し、食事中はテーブルの下にあるボールを足の裏でコントロールする。「さすがに食事中は『お行儀が悪い』と奥さんに怒られたかな」と、治さんは苦笑いしたが、陸斗はボールを肌身離さず生活するのが日常となった。
もうひとつ、アスリートの息子ならではとも言える身体能力の片鱗を感じさせるエピソードについて、治さんはこう証言してくれた。
「陸斗は家の中にあるふすまや窓によじ登って、横にたどって行ったりしていました。まるでテレビ番組の『SASUKE』のように、近くにあるものはすべて障害物に見立てて遊び道具に変えてしまう。その様子を見て運動能力の高さは感じていましたし、体つきも筋肉質でしたね」
これについては陸斗も覚えている出来事があった。
「家の中だけでなく、マンションの敷地内でも遊んでいました。立ち入り禁止の場所に入って管理人さんに注意されたことも(苦笑)。でも、父さんに怒られた記憶はほとんどありません。たぶん自分も子どものころはヤンチャをやっていたタイプだから、息子もそれくらいヤンチャなほうがいいと思っていたんでしょう」
中学生になり浦和レッズの門をたたく
自らもプロとしてプレーしたからこそ、治さんは、愛する息子の道のりが平坦でないことを知っていた 【(C)J.LEAGUE】
しかし、ふとした瞬間に指導者としての目線が混ざってしまうことに、本人も気付いていた。
「陸斗の動きは野性的でした。チャンスのときは相手のゴール前にいるし、ピンチのときは味方のGKの後ろまでカバーする。とにかくずっと動き回っているんです。子どもなりに考えているんだろうけど、本能や感覚が違った。指導者からしてみれば教えられない部分が自然と備わっている子でした」
サッカーを教えたことは一度もない。それでも何気ない日常でボールタッチの感覚が磨かれ、家の中で身体能力を向上させていく。それがアスリートのDNAを引き継ぐ者なのだから、地域のサッカー少年団で主役になるのは当然だろう。小学6年生になると地域選抜の浦和FCでもプレーし、父親の背中を追うようにジュニアユースで浦和レッズの門をたたく。
治さんはここでも自らの存在が与える影響を把握した上で「コネは一切ありません。同じセレクションに長男は落ちていますから」と強調する。
こうして踏み出したプロサッカー選手を目指す第一歩。自然と自分を追いかけてきた息子に対して父親が抱く感情は「うれしかったけど複雑でした」。そして、こう続ける。
「レッズのジュニアユースには各少年団のお山の大将が集まるわけです。20人の定員だとしたら20番目になるかもしれない。それでもやっていけるのか親として不安な気持ちはありました。ただ、やっていけるという確信はないけど、無理という根拠もない。本人次第だから親として見守るしかありません」
この先に待ち受けているのが平坦な道のりではないことを最も知っているのは、誰よりも身近な存在の父親だった。
(企画構成:SCエディトリアル)
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【佐野美樹】
1995年9月23日生まれ。埼玉県出身。横浜F・マリノス所属。DF/背番号18。176センチ/68キロ。父親である広瀬治は、浦和レッズでプレーし、FKの名手として知られた選手。広瀬自身もジュニアユース、ユースと浦和の育成組織でプレー。トップチームに昇格することはかなわなかったが、2014年に水戸ホーリーホックでプロとしての一歩を踏み出すと、J2で30試合に出場。翌年から徳島ヴォルティスに移籍するとレギュラーとしてプレー。徳島での活躍が認められ、今シーズンから横浜FMに加入。自身初のJ1の舞台になるが、右サイドバックとして着実に出場機会を増やしている。
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5月31日(金)19:00キックオフ 湘南ベルマーレvs.横浜F・マリノス