父は浦和レッズのレジェンド、横浜F・マリノスの広瀬陸斗が歩んだ道

藤井雅彦

Jリーガーの父親に教わった記憶はない

横浜F・マリノスでプレーする広瀬陸斗の父・治さんも浦和レッズで活躍したJリーガーだった 【佐野美樹】

 周りに目をやると、道行く人のほとんどが赤と黒のユニホームを着ている。目指す先は駒場運動公園競技場(現・浦和駒場スタジアム)。かつて浦和レッズが本拠地としていた“聖地”だ。

 皆のお目当てはピッチで躍動する浦和の選手たち。今シーズンから横浜F・マリノスでプレーする広瀬陸斗の父親も、そのうちの1人だった。しかし、幼かった陸斗にはサッカー観戦や父親のプレーの記憶はない。

「駒場に行ったことは覚えています。でもサッカーはほとんど見ていなくて、売店の近くで鬼ごっこやかくれんぼをして遊んでいました。試合中はみんなサッカーに集中しているので、普段は混んでいる売店の周りも空いている(笑)。だから父さんのプレーの記憶は全くないんです」

 父・広瀬治は帝京高校から三菱重工業サッカー部を経て、浦和の一員としてJリーグ草創期に活躍。引退するまで浦和一筋で過ごしたレジェンドプレーヤーだ。
 母親と2学年上の兄にくっついて駒場へ足を運んでいたころ、1995年生まれの陸斗は幼稚園児として無邪気に過ごしていたのだから、父親のプレーを詳しく覚えていなくても無理はないだろう。それを治さんに伝えると、屈託のない笑みで当時を回想してくれた。

「自分のプレーなんか見ていないだろうな、と思っていましたよ(笑)。チームメートの子どもたちと遊んで、お菓子を食べに駒場へ来ていただけというのは奥さんから聞いていました。でもね、ただ来てくれているだけで良かった。試合が終わってすぐに家族に会えるのはとても幸せでしたから」

 父親は浦和レッズを愛する者たちにとって憧れの存在だったが、陸斗にしてみれば普通のお父さんでしかなかった。治さんは、自宅にユニホームを飾るようなタイプでもなかったため、サッカー選手の子どもとして育った感覚はあまりない。

「父さんにサッカーを教えてもらった記憶はありません。家の近くでキャッチボールをしたことは覚えています。サッカーは兄ちゃんにくっついて始めたのかな。あとはサッカーが盛んな地域だったので、幼稚園のときから自然とサッカーに触れ合う時間が長かったのかもしれません。小学生になってからは放課後に暗くなるまでボールを蹴って、それからようやく家に帰る毎日でした」

父親が漠然と思い描いていた夢

広瀬は知らなかったというが、父親が漠然と思い描いていた夢をかなえてプロサッカー選手に 【佐野美樹】

 父親が教えるでもなく、父親に教わるでもなく、息子は自然とサッカーにのめり込んでいった。プロサッカー選手として2人の子宝に恵まれ、どちらも男の子だったときの心境を治さんはこう語る。

「たまたま男の子が2人生まれてきてくれたので、自分の気持ちとしては、どちらかがサッカー選手になってくれたらありがたいなぁ、と漠然と思っていました。ただ、そのために『巨人の星』のような熱血指導をするつもりは全くなかったし、実際にやっていません。一緒にボールを蹴ったことくらいはあるけど、幼稚園や小学校低学年の子どもに必死に教えても、そのとおりにはできない。ましてや戦術的な話をしても理解できるわけがない。だから普通の家庭の親子と同じです。奥さんも子どもをサッカー選手にしたいとは全然、思っていなかったと思います」

 陸斗を大学付属の小学校に進学させようと提案したのは教育熱心な母・一美さんだった。兄弟が比較されて余計なストレスを抱えないように、という配慮もあったが、個人指導の塾に通わせることで勉強の重要性も説いてきた。しかし学生時代からサッカーだけに打ち込んできた治さんは、どこ吹く風でその様子を見守っていたという。

「奥さんとしてはスポーツだけではなく、勉強もしっかりできる文武両道に育てたいと思ったのでしょうね。自分の子どもでもあるけど、奥さんの子どもでもあるし、最初からやらないよりはやらせてみてもいいと思いました。漢字の読み書きくらいはできてほしいですから(笑)」

 当時、陸斗と兄・大暉さんは同じ部屋で生活していた。ある日、一美さんから「2人が勉強しているか様子を見てきて」と言われた治さんは、抜き打ちで子ども部屋のドアを開けてみた。すると案の定、子どもたちは勉強そっちのけで『遊戯王』のカードに夢中になっていた。

「怒られると思ってカードを隠すこともせず、全くビビりもしないんですから(苦笑)。奥さんは勉強ができたタイプだから、子どもにも期待していたと思います。でもオレの子どもなんだから無理ですよ。勉強に対して集中力がないのは見ればすぐに分かる。『個人指導の塾なんてもうやめさせろ』と、奥さんとケンカしたこともあります」

 子ども部屋を後にした治さんが、一美さんに「子どもたちは真面目に勉強していたよ」と報告したのは、20年近く経過した今となっては時効のエピソードである。

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著者プロフィール

1983年生まれ、神奈川県出身。日本ジャーナリスト専門学校卒業後、フリーとして活動を開始。2006年からサッカー専門新聞『EL GOLAZO』の横浜F・マリノス担当を務め、現在はwebマガジン『ザ・ヨコハマ・エクスプレス』の責任編集としてチームに密着し続けている。著書に『横浜F・マリノス 変革のトリコロール秘史』(ワニブックス)、書籍の執筆・構成に『中村俊輔式 サッカー観戦術』(ワニブックス)、『サッカー・J2論』(ワニブックス)がある。

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