連載:ライバルが語るイチローの抑え方

赤堀元之がイチローとの名勝負を振り返る 安打製造機を困惑させた二段モーション

前田恵
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「安打製造機」イチローも、赤堀に対しては打率1割台と苦しんだ 【写真は共同】

 イチローがオリックスでプロ野球人生をスタートした1992年、赤堀元之は近鉄の守護神として50試合に登板。22セーブ、防御率1.80で、最優秀救援投手と防御率1位をダブル受賞した。計5度にわたって最優秀救援投手に輝き、現在は中日の投手コーチを務める赤堀。当時のストッパーのすごさは、今でいう「回またぎ」はもちろん、3イニングにも及ぶロングリリーフを毎日のようにこなしたことだ。「オリックス戦なら絶対イチローに回ってくると思って準備していた」と話す赤堀が、イチローを被打率1割台に抑えた秘訣(ひけつ)とは?

ヒットはしょうがないと割り切る

――イチローさんについて、赤堀さんの最初の記憶はいつですか?

 初対戦は、おそらくイチローの1年目だったと思います。ただ、そこはよく覚えていないんですよ。初めて意識したのは、彼のプロ2年目(93年6月12日)。長岡(悠久山球場)で野茂英雄さんからホームランを打ったときですね。一瞬、うなりました。バットコントロールもいいし、フォームもキレイ。「いいバッターになる可能性はあるな」とは思いましたが、まさかここまでの選手になるとは……。

――イチローさんが1軍に定着する前に、赤堀さんはセーブ王も獲得し、近鉄の守護神としての地位を固めていました。そういう意味では、対戦するときも「イチローなにするものぞ」というか、上から見下ろして投げられたのですか?
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著者プロフィール

1963年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学在学中の85、86年、川崎球場でグラウンドガールを務める。卒業後、ベースボール・マガジン社で野球誌編集記者。91年シーズン限りで退社し、フリーライターに。野球、サッカーなど各種スポーツのほか、旅行、教育、犬関係も執筆。著書に『母たちのプロ野球』(中央公論新社)、『野球酒場』(ベースボール・マガジン社)ほか。編集協力に野村克也著『野村克也からの手紙』(ベースボール・マガジン社)ほか。豪州プロ野球リーグABLの取材歴は20年を超え、昨季よりABL公認でABL Japan公式サイト(http://abl-japan.com)を運営中。

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