佐藤世那、21歳で「まさか」の戦力外…
クラブチームからNPBを目指す
原点に立ち戻った時、ある答えにたどり着いたという佐藤世那。その胸の内に迫った
原点に立ち戻った時、ある答えにたどり着いたという佐藤世那。その胸の内に迫った【撮影:中島奈津子】

 2015年夏、仙台育英のエースとして甲子園準優勝に導いた佐藤世那。その年のドラフトでオリックスから6位指名を受けプロ野球選手としてのスタートを切ったが、「投げやすかった」フォームがプロ入り直後に狂い始め、2年目の終わりに首脳陣の打診によりサイドスロー転向。3年目の昨年、必死で自分のものにしようと取り組み、シーズン終盤、ようやく“つかんだ”のだが、10月4日、無情にも“戦力外通告”。高卒3年、21歳、まだまだこれからという中で、佐藤はNPBを去ることになった。

 そして佐藤は今、クラブチームに籍を置き、NPB返り咲きを目指している。なぜそこを選び、どんなことを思って日々戦っているのか、佐藤の口から出てきた言葉は……?

突然の“戦力外”に「なんで…」の思い

――プロ3年目の昨秋、2018年10月4日、戦力外通告を受けました。あまりにも早い宣告に驚きましたが、その時の率直な気持ちを聞かせてください。


 正直……「まさか」でした。今年で戦力外になりそうな選手というのはだいたい分かるのですが、僕もそこに呼ばれた時、クビとは思わず「育成になるんだな」って思っていたんです。でも、言われたのは、「3年間お疲れ様」という言葉。そこからはもう、覚えていないです。「何か質問はあるか」と聞かれた気がするんですが、何か言ったのかも覚えてないんです。


 フォームを変えてまだ1年。変えてすぐに結果を出せればそれに越したことはなかったのですが、コーチからも「焦る必要はない」と言われていたので、「なんで?」っていう思いもありました。


――フォームを変えたのは2年目のシーズン終了後、ウインターリーグの時でしたね。


 そうです。僕としては高校のころのオーバーのフォームが一番投げやすいですし、一番いいフォームっていうのは分かっていました。でも、プロに入ったころにフォームが崩れてしまって、1年目は、高校時代のフォームに戻そうと思って取り組んでいました。2年目にやっと直せたんですが結果がついてこなくて、そのシーズン後の台湾でのウインターリーグの時に横にすることになりました。


 もともと、僕は柔軟性があって、いろんな角度から投げられることもあり、それを見ていた風岡(尚幸)コーチから「横も合っているんじゃないか」「面白い」という話をいただいたこと。1試合投げて若月(健矢)さんに受けてもらい「すごくいい」と言っていただけたこと。オリックスというチームの中で、「サイドスローの比嘉(幹貴)さんの後釜としてサイドから投げる投手が必要」と言われたこともあります。僕としては、高校時代からのフォームで投げたい、そのフォームで活躍できることを証明したいという思いはあったのですが、1つ下に山本由伸らいい投手が3人も入ってきて、オーバーよりもサイドスローの方がチームのためになる、そう思ったので、やる決意をしたんです。


――3年目、本格的にサイドスローに取り組んでいきましたね。


 毎日ブルペンに入って球数を放って、その投げ方に慣れようとしていました。ただ、ブルペンですごくよくなってきたなと思っても、実戦でバッター相手に試す機会が少なかったのがもどかしいところでした。僕の場合、どういう球を投げるとバッターはどういう反応をするとか、どこに投げるとどうだとか、そういうものを、対バッターの中で感覚をつかんできていたのですが、ブルペンだけだとそれがつかめなくて……。


――ファームは投手陣が飽和状態というチーム事情もあって、実戦登板の機会がとても少なかった。


 そうなんです。ファームで、8試合で13イニングですかね……。それでも8月ぐらいには酒井(勉)、小松(聖)両コーチについていただき感覚がすごくよくなって140キロも超えるようになっていて……。二人には「これで、フェニックス(秋季教育リーグ)で実戦を積んで、12、1月としっかり自主練をしてきたら、2月(春季キャンプ)からは絶対よくなるな」と言っていただけて、僕としても自信が出てきたところでした。


――そんな中、「まさか」が起きた……。


 僕に限らず、プロの選手たちは「いつどうなるか分からない」という気持ちを多少でも持ちながら野球をやっていると思います。僕も、1年目も2年目も3年目もうっすらと恐怖はありました。特に2年目のオフにフォームを変えた時に「育成」を覚悟したんですが、それはなく、1年間チームに貢献できるピッチャーになろうと頑張ってきて、「さぁこれから」という時だったので、さすがにそれ(戦力外)はないだろうと思っていました。


――通告され、身近で見てくれていた2軍の監督やコーチたちからはどんな言葉がありましたか?


 戦力外は監督やコーチが決めるわけではないのでコーチのせいではないんですが、田口(壮)監督も、酒井コーチも、小松コーチも、風岡コーチも、みんなから「申し訳ない」と涙ながらに言われてしまって……。僕の方が結果を出せなくて申し訳ありませんって。僕も最初は泣いてなんていなかったんですが、そんなに自分のことを思ってくれていたんだと思ったら、僕ももう我慢できなくて泣いてしまいました。


――その後のことは覚えていますか?


 親に伝えなきゃ……と電話をしたら、僕以上にショックを受けながらも「しょうがないね」「とりあえずトライアウトだね」と。僕もとりあえずトライアウト……とは思ったのですが、最初の1日、2日は野球を忘れて違うことをやってみようかとも考えました。でも、結局、何もない……。やっぱりトライアウトだ、と気持ちを入れ替えました……。いや、入れ替えられたかは分からないですが、トライアウトに向けて頑張ろうと思いました。

瀬川ふみ子

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