佐藤世那、21歳で「まさか」の戦力外…クラブチームからNPBを目指す
トライアウトは、投げ続けてきた自分のフォームで
佐藤世那のダイナミックで独特なフォームをNPBのマウンドで見られる日が待たれる 【撮影:中島奈津子】
オリックスの施設では相手もいないので、知り合いのツテをたどって東京の公園のようなところで練習することにしたんです。仙台育英時代の先輩や後輩が球を受けてくれたりバッターボックスに入ってくれたりと練習相手をしてくれてありがたかったです。
――そのトライアウトはサイドではなく上から投げていましたね。
どっちにするか、すごく迷いました。もともと投げていた上でいくか、この1年間取り組んできた横でいくか。考えた末、上で勝負することにしました。横にしたのは、自分のためでもありましたが、チームのためということの方が強くて、僕自身が「このフォームで勝負したい」と思うものではなかったので、ずっと投げてきたもともとのフォームにしようと。
――11月13日、福岡でのトライアウト。3人に投げて、四球、サードフライ、ライト前ヒット……という結果でした。140キロ以上の球速も出ていましたが、いかがでしたか?
フォームも含めてダメでした。その1年は、むしろ上から放ることを忘れようとキャッチボールでさえも一度も上から放らなかったので、ちゃんと上になっていなくて……。1カ月じゃ無理でした。あの時の自分を客観的に見て、この状態じゃNPBの球団から声はかからないなって。どこからも連絡はありませんでしたが、自分でも分かっていたので、けじめをつけられたというか、ある程度の切り替えはできました。
無名のクラブチームへ……自由な中で成長したい
「独立リーグの球団からの誘いもあった」と明かす佐藤世那。なぜクラブチームを選んだのか? 【撮影:中島奈津子】
フォームを変えて1年、さぁこれから勝負していこう! という時にクビになってしまい、不完全燃焼。最初は悔しくて何も考えられなかったけど、もう一回、原点に立ち戻った時に出た答えが、僕が成長できた高校時代と似た環境で野球をしたいということでした。仙台育英は、誰かに指示されてやるのではなく、自分で考えて練習をするというチーム。僕にはそれがとても合っていて、すごく成長できたと思っています。それができるとしたらどこか……?
もちろん、1年後にNPBに出戻るとしたら、環境のことを考えてもBCなどの独立リーグなんだろうと思います。実際、いろんな独立リーグの方々から声をかけていただきました。でも、この横浜球友クラブの川辺(和義)監督から声をかけていただき、具体的なことを提示してくださったのを見たり聞いたりさせていただき、自分が成長できるのはこっちじゃないかな……独立に行って周りと競争しながらやるのも大事だと思いますが、僕にはこっちが合っていると思ったんです。
もう一つ、僕の中で、野球だけではないいろんな出会いや縁を持ちたいなというのがあって、それを考えたら東京など首都圏がいいと思ったんです。プロでの3年間は、野球を楽しめていない自分がいて、楽しみながら成長したいという思いもあって……。
クラブチームでも結果を出せば補強選手として都市対抗に出られるという目標もできますし、そういうところでスカウトの方に見てもらえる可能性もある。それでここにしようと決めました。
――“クラブチーム”ということで、グラウンドをはじめとした施設面、指導者、試合など、いろんな面で不安はありませんでしたか?
それはありました。自由に練習ができる反面、やるもやらないも自分次第。ちゃんと自己管理ができるかどうか。もう一つは、プロを目指す選手が多く所属するチームと違って、ここには本気でプロを目指す選手は正直いないので、モチベーションを保てるかということ。プロに戻れるかどうかということよりも、そっちが怖くて悩みました。実際入ってみて、やはり大変だと思うところもたくさんあります。
<後編に続く>
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佐藤世那(さとう・せな)
【撮影:中島奈津子】