橋本勝也、福島から世界一の選手へ ウィルチェアーラグビー“未来のエース”

瀬長あすか

ヘッドコーチも高い素質に期待

世界選手権では橋本と同じ四肢欠損のトップ選手、ライリー・バット(オーストラリア)ともマッチアップ。東京パラ、さらにその先を見据えて成長を遂げたい 【Photo:越智貴雄/カンパラプレス】

 橋本は17年4月に発足した「TOHOKU STORMERS」の一員になった。普段は、現在も彼のトレーニングを担当する野村トレーナーのもとで、車いす操作などの練習を積む。当時は中学3年生で高校受験を控えていたこともあり、周囲は彼や家族にとってウィルチェアーラグビーが負担になってはいけないと、丁寧に時間をかけてラグビー道へと導いていった。

 そんな中、増子は橋本に世界のレベルを肌で感じてもらおうと、5月に千葉で行われていた世界3強が争う「2017ジャパンパラウィルチェアーラグビー競技大会」に連れて行った。そこで、現在橋本がプレーの手本にしているバット、そしてケビン・オアー日本代表ヘッドコーチ(HC)とも初対面を果たした。

「プレッシャーはかけたくない。でも、カツヤはライリーのような選手になれる素質を持っているよ」

 そう期待するオアーHCに応えるかのように、18年に代表入りした橋本の成長は目覚ましかった。当初は24年パリ大会の代表候補として見られていたが、オアーHCは世界一を手にしたとき「日本はスピードのあるハイポインター(障がいの軽い選手)だけでなく新人も起用し、深みのあるプレーを見せられた」と、東京につながる収穫のひとつが橋本だったと満足そうに語っていた。

 代表入り1年半で世界一のメンバーになった橋本を代表に押し上げたのは、福島の人たちだと言っても過言ではない。東北をまたがるクラブチームの練習、そして日本代表の強化合宿を福島に招致し、“未来の若きエース”が無理なく続けられる環境をつくっていった。

 現在は県立田村高等学校に通いながら、東京パラリンピックを目指す。

「自分はまだまだ未熟。コート上でラインを組むときの連携など、もっと経験を積まなければ先輩たちのようにはなれないから、先輩たちと積極的にコミュニケーションを取ることでどんどん吸収していきたいです」

 可能性は未知数。福島から世界一のウィルチェアーラグビー選手が生まれるかもしれない。

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著者プロフィール

1980年生まれ。制作会社で雑誌・広報紙などを手がけた後、フリーランスの編集者兼ライターに。2003年に見たブラインドサッカーに魅了され、04年アテネパラリンピックから本格的に障害者スポーツの取材を開始。10年のウィルチェアーラグビー世界選手権(カナダ)などを取材

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