連載:道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔

大谷翔平の日本ハム入団が決まった日――その時、栗山監督は中尊寺にいた

佐々木亨
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絵馬に書き残した決意

中尊寺で大谷の入団を聞いたという栗山監督(右)。岩手の歴史を感じながら、決意を新たにしたようだ 【写真は共同】

 雪が舞う、その日。
 栗山監督は岩手県西磐井(にしいわい)郡平泉町にある中尊寺にいた。

 天台宗東北大本山の寺院である中尊寺は、平安時代の浄土教建築の代表例で国宝にも指定されている金色堂(こんじきどう)をはじめとした文化財をいくつも有している。その場所は、かつて平泉を中心に東北一帯を支配下に治めていた豪族の奥州藤原氏三代にゆかりある寺としても有名だ。もともとは平安時代後期の武将だった奥州藤原氏の初代当主であった藤原清衡(ふじわらのきよひら)が、西暦1105年に創建に着手したとされているが、その中尊寺がある平泉は、基衡(もとひら)、秀衡(ひでひら)、泰衡(やすひら)とつないだ奥州藤原氏によって約百年にわたり京の都にも負けない華やかな文化が栄えたという。
 大木に囲まれた急勾配の坂道を登っていくと中尊寺の本堂が見えてくる。そこからさらに奥まったところに金色堂が鎮座する。

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「京都とはまた違う雰囲気がそこにはあった」

 そう語る栗山監督は、中尊寺を訪れたあの日のことを言葉に重みを持たせながら話し始めた。

「キャスター時代の僕は、菊池雄星がいた、そして大谷翔平がいた花巻東高校の取材を多くさせてもらいました。そういう流れのなかで、キャスター時代のあるときにミーティングを終えた花巻東高校の一室の黒板に字が残っていたんです。『黄金の国、いわて』と。そこには『黄金とは人なんだ』という佐々木監督のメモも残っていました。僕は『なるほどな』と思いましたね。かつて奥州という地に日本でもすばらしい国を作り、その地に金色堂みたいなものを作った。たぶん、そういう流れのなかから菊池雄星や大谷翔平という人材が出てきた。キャスター時代から尊敬している花巻東高校の佐々木監督がそれを信じ切ったから、信じてやったからこそ、あそこ(花巻東高校)に彼らのような人材が集まって、ああいう選手が出てきたんだと僕は本当に思ったんです。

 佐々木監督から選手をお預かりする。そういう気持ちでしたし、今でも僕は『佐々木監督からお預かりした』という感覚なんです。佐々木監督の代わりに、翔平が成長するための手伝いを何とかするんだと思っていました。だから、少しでも栄華を極めたもの、あの場所で作られたものに触れて何かを感じ取りたかった。真剣に岩手の子を育てようとした佐々木監督の思いを感じ取りたかった。そういう意味で僕はあの日、中尊寺へ行きました」

 中尊寺の空気感を肌で感じて「こういうことなのか……」と改めて思った栗山監督は、絵馬に「大きな夢を世界に羽ばたかせる」と書き残したという。
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著者プロフィール

1974年岩手県生まれ。スポーツライター。雑誌編集者を経て独立。著書に『あきらめない街、石巻 その力に俺たちはなる』(ベースボール・マガジン社)、共著に『横浜vs.PL学園 松坂大輔と戦った男たちは今』(朝日文庫)、『甲子園 歴史を変えた9試合』(小学館)、『甲子園 激闘の記憶』(ベースボール・マガジン社)、『王者の魂』(日刊スポーツ出版社)などがある。主に野球をフィールドに活動するなかで、大谷翔平選手の取材を花巻東高校時代の15歳から続ける。

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