連載:道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔

1時間の練習でも…東北に通う 大谷翔平を静かに見守り続けたスカウト

佐々木亨
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「どの競技をやっても、金メダルのレベル」

大谷の身体能力は、メジャースカウトも惚れ惚れするものだった 【写真は共同】

 小島にとって、大谷との出会いは「衝撃」以外の何ものでもなかった。

「度肝を抜かれました。初めて彼を見たときの試合の映像って残っていないですかね? 僕は今でもはっきりと覚えています。スイングを始めたとき、打席で打ったとき、そしてライトからの返球を見たとき。すべての映像を鮮明に記憶しています。良い意味で『なんだ、コイツは……』と思いましたね。ドジャースに連れていって三年間はマイナーリーグで苦しんでもらって、その後はサイ・ヤング賞(メジャーリーグにおいて、ナショナルリーグとアメリカンリーグのそれぞれで、その年にもっとも活躍した投手へ贈られる賞)を二、三回ぐらいは獲るんじゃないかと思うぐらいの衝撃でした」

 メジャー昇格を夢見るポテンシャルの高い金の卵たちが鎬(しのぎ)を削り、その勝負に勝ち残っていかなければいけないのがマイナーリーグである。厳しい環境にこそ、選手としての礎を築くことができる要素が詰まっている。その時間を経て「大谷くんは三年目には真のメジャーリーガーの道を歩み始めるだろうと僕らは予測していた」とも話す。

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 試合を見た小島はすぐさま、衝撃の出会いをつぶさに記したスカウティングリポートを所属球団へ送っている。
 それは大谷が入学間もない2010年4月の終わりだった。高校入学後初めて出場する花巻東高校のグラウンドで行われた練習試合でのことだった。小島が記憶を手繰り寄せる。

「大谷くんは四番・ライトで試合に出ていました。僕はバックネット裏のところで見させていただいていたのですが、はじめにウォーミングアップをする姿を見て、すぐに『この子が大谷翔平だな』とわかりました。10メートルも離れていない距離のところで、打席が回ってくる大谷くんが素振りをする姿を見たときは、キレイなスイングに一瞬で『センス抜群だな』と思いました。ファーストへ走る姿もバランスがよかった。そして、ライトを守っているとき、サードへ送球する場面があったんですが、その時のボールを見て『絶対にピッチャーだ』と思いました。肩の柔らかさと投げる角度を見て、ウソだろ、あり得ない、とんでもない選手が現れたと思いました。本当に15歳? 僕の頭のコンピューターがそのとき、フリーズしちゃいました」
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著者プロフィール

1974年岩手県生まれ。スポーツライター。雑誌編集者を経て独立。著書に『あきらめない街、石巻 その力に俺たちはなる』(ベースボール・マガジン社)、共著に『横浜vs.PL学園 松坂大輔と戦った男たちは今』(朝日文庫)、『甲子園 歴史を変えた9試合』(小学館)、『甲子園 激闘の記憶』(ベースボール・マガジン社)、『王者の魂』(日刊スポーツ出版社)などがある。主に野球をフィールドに活動するなかで、大谷翔平選手の取材を花巻東高校時代の15歳から続ける。

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