連載:道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔

大谷翔平、「二刀流」の発端 高校2年〜3年にかけての冬の出来事

佐々木亨
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「悔しさしかなかった」経験

2年時、骨端線損傷という怪我をした大谷。冬は股関節のトレーニング、体重増に重点をおき、これが後の二刀流につながっていった 【写真は共同】

 解き放つ光が大きければ大きいほどに、その裏にある影の部分や苦悩は透けてしまう。ただ、たとえ大きな栄光を手にした人間でも、必ずと言っていいほどに、その人生には光と影があるものだ。

 大谷にも「悔しさしかなかった」経験がある。歩んできた道は、すべてが順風満帆な平坦なものではなかった。

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 入学から育成プランを練り、細心の予防とケアをしてきたつもりだったが、2年夏の岩手県大会直前に骨端線損傷という怪我と直面した。2011年の6月末のことだ。夏の県大会を見据えた練習試合。週末を利用し、花巻東高校のグラウンドで行われた2日間にわたる夏の準決勝と決勝をイメージした試合で、大谷には当初、連投する感覚を養わせるつもりだった。佐々木監督の記憶によれば「2日目の試合」でのマウンド。左足を痛がる素振りを見せた大谷は、そのままバックネット裏の小部屋に消えた。左足に痛みを感じた直後、そしてその年の夏の甲子園に出場したときまでは、患部の痛みは肉離れによるものだと思われていた。実際、初診では肉離れと判断されて、入学時に残っていた骨端線による痛みだとは本人も含めて誰もが思わなかった。しかし、甲子園での戦いが終わってから詳しい検査をしてみると、想像以上に重い怪我だったことがわかったのだ。大谷は言う。

「大きな怪我は初めてでしたし、夏の大会直前ということもあって、やっぱり悔しかったですね」

 高校時代の唯一にして最大の怪我に対して「大谷には申し訳ないことをした」と言う佐々木監督はいまだに悔やむ。
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著者プロフィール

1974年岩手県生まれ。スポーツライター。雑誌編集者を経て独立。著書に『あきらめない街、石巻 その力に俺たちはなる』(ベースボール・マガジン社)、共著に『横浜vs.PL学園 松坂大輔と戦った男たちは今』(朝日文庫)、『甲子園 歴史を変えた9試合』(小学館)、『甲子園 激闘の記憶』(ベースボール・マガジン社)、『王者の魂』(日刊スポーツ出版社)などがある。主に野球をフィールドに活動するなかで、大谷翔平選手の取材を花巻東高校時代の15歳から続ける。

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