2012年 初めてのJ1昇格プレーオフ 前編 シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

宇都宮徹壱

W杯を知るレフェリーが「決戦」と呼ぶゲーム

12年11月23日に東京・国立競技場で開催されたJ1昇格プレーオフ決勝は「歴史に残る名勝負」となった 【宇都宮徹壱】

「日本サッカー界で『決戦』と呼ばれる試合って、そんなに多くはないと思うんです。でも、あの試合はまさに『決戦』と呼ぶに相応しいゲームでしたね。その『決戦』を、主審として担当させていただいたのは本当にうれしかったですし、さまざまな方々の信頼によって得られた結果だと思っています。われわれとしては、普段どおりのジャッジを心がけていました。それでも、それぞれの選手がきちんと受け止めながらプレーしなければ、ゲームは成立しません。ですので、プレーヤーの皆さんにもすごく感謝しています」

 そう語るのは、元国際審判員でプロフェッショナルレフェリーの西村雄一。2010年のワールドカップ(W杯)決勝では第4審判を、そして14年のW杯開幕戦では主審を務めた、日本が世界に誇るレフェリーが「決戦」と呼んだのは、2012年11月23日に東京・国立競技場で開催された、J1昇格プレーオフ決勝。今季から「J1参入プレーオフ」と名を改めた大会は、この年からスタートした。そして、ジェフユナイテッド千葉と大分トリニータによるファイナルは、まさに「歴史に残る名勝負」として、当事者以外のサッカーファンの間でも記憶されている。

「Jリーグ25周年」を、当事者たちの証言に基づきながら振り返る当連載。第23回となる今回は、2012年(平成24年)をピックアップする。Jリーグが開幕から20回目のシーズンを迎えたこの年、サンフレッチェ広島が激戦を制してJ1初優勝。前年に未曾有の震災に見舞われたベガルタ仙台も、「復興の象徴」として快進撃を続け、クラブ史最高となる2位で激動のシーズンを終えた。一方で残留争いも熾烈を極め、前年3位のガンバ大阪が、リーグ最多得点(67)を記録しながら、17位で初のJ2降格となっている。

 そんな、さまざまなドラマがあった12年シーズン。J2でも「プレーオフ導入」という大きなトピックスがあった。前年まで1位から3位までが無条件で昇格できたのが、この年からストレートの昇格は1位と2位のみ。3位から6位までがプレーオフに参戦し、準決勝と決勝を勝ち抜いた1チームに、J1昇格の権利が与えられることとなった。J2はこの年から22チームとなり、昇降格に絡まない中位を盛り上げるための「仕掛け」が模索された。そこで新たに創設されたのが、J1昇格プレーオフ。その最初のファイナリストとなった千葉と大分には、いずれも「是が非でも昇格」というそれぞれの事情があった。

3年ぶりのJ1復帰を果たすために──千葉の場合

練習環境も戦力も整っていた千葉は、3年ぶりのJ1復帰を明確な目標としていた 【宇都宮徹壱】

 前身の古河電工時代からの名門ながら、09年シーズンにJ1最下位という屈辱的な成績により、初めて降格の憂き目に遭った千葉。10年は4位、11年は6位に終わり、J2暮らしは3シーズン目に突入していた。そこでクラブが新監督として白羽の矢を立てたのが、当時40歳になったばかりの木山隆之。ヴィッセル神戸ユースの監督として、Jユースカップ準優勝に導いた実績はあるものの(05年)、トップチームを率いた経験は水戸ホーリーホックでの3シーズンのみ(08〜10年)。加えてクラブOBでもない木山の抜てきに、驚いた関係者も少なくなかったようだ。木山自身は当時、このオファーをどのように受け止めていたのであろうか。

「僕が監督をしていた頃の水戸は、まず予算がない、練習グラウンドもない、選手もほとんどが大卒の若手ばかりのクラブでした。もっとも当時のJ2は降格がなかったので、与えられた環境と戦力で最良のチーム作りを目指すことができたんですよね。千葉はまったく逆。予算はあるし、練習環境は整っているし、戦力も揃っている。その上で『1年で昇格する』という明確な目標があったので、そこに対するプレッシャーはありました」

 現在、モンテディオ山形の監督を務める木山は、6年前の自身の置かれた状況をそう回想する。言い知れぬ重圧を内に秘めながら臨んだ、12年シーズン。序盤こそ波に乗れなかった千葉であったが、第16節に6連勝を達成し、第19節には初めて首位にも立った。しかしこれ以降は、首位が8試合連続で入れ替わる混戦ぶり。第26節以降はヴァンフォーレ甲府が首位を独走し、千葉は次第に順位を落としてゆく。
 
「周囲からは『ジェフは夏場に弱い』と言われていて、『いやいや、そんなことはないぞ』と思っていたら実際にダメで(苦笑)。7月中旬から失速して、2位から一気に7位に落ちたんですよね。その後も苦しい試合が続きましたけれど、最終節のひとつ前に6位以内を確定させることができました。プレーオフでも勝ち抜ける自信ですか? ありましたよ。1年かけて取り組んできたことが、形になったという確信はありましたから」

 余談ながら千葉は、第38節のホームでの大分戦に1−2で敗れている。もしこれに勝利していたなら、得失点差で湘南ベルマーレを上回り、2位で自動昇格をしていた。結局、レギュラーシーズンは5位で終了。プレーオフの相手は、4位の横浜FCと決まった。

「横浜FCとは、ホームでやった時は3−0でした。監督が岸野(靖之)さんの時で、完勝に近かったですね。アウェーで対戦したときはモトさん(山口素弘)に代わっていて、サッカーの内容もちょっと違っていました。苦戦はしましたけれど、最後は1−0で勝ち切ることができたので(横浜FCに)苦手意識はなかったです。むしろチーム状態も上向いていましたし、とにかく勝たなければいけない立場でしたから」

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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