2012年 初めてのJ1昇格プレーオフ 前編 シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

宇都宮徹壱

未曾有の経営危機を乗り越えるために──大分の場合

経営危機を乗り越えるためにも負けられなかった大分 【宇都宮徹壱】

「大分の監督に就任した2年目、プレーオフが始まるということで『このチャンスを生かして昇格するように』と当時の社長(青野浩志)から言われました。この年の大分は、Jリーグから借りたお金(公式試合安定開催基金)を完済しないと、ライセンスを剥奪される危機に直面していたんです。それで県民の皆さんに『J1昇格支援金』という募金活動を呼びかけたら、1億2000万円のも募金が集まったんですね。現場サイドにとっても、大きなモチベーションになりました。『こうなったら昇格するしかないぞ!』という」

 この年、大分を率いていたのは、18年シーズンまで福島ユナイテッドFCの監督を務めていた田坂和昭である(編集部注:今季は栃木SCの監督に就任)。それまでトップチームを率いた経験はなかったものの、深刻な経営危機のただ中にあった大分にとり、若手育成で実績のあった田坂の監督就任は願ってもない僥倖(ぎょうこう)であった。1年目の11年は12位に終わったものの、翌12年は第21節で6年ぶりの4連勝を果たし、第23節には一度だけ首位に立った。しかしその後、3位から6位の間が定位置となり、4位で最終節を迎えることとなった。

「自動昇格は厳しいかもしれないけれど、今の順位ならプレーオフ圏内に十分に行ける。だからそこを目指していこうと。最終節の前の試合で4位になって、3位の可能性もあったんですよ。そしたら、最終節の松本(山雅FC)戦がスコアレスドローに終わって、結局6位。『おい、6位かよ!』って最初は思ったんだけど、逆に考えれば(プレーオフの順位が)一番下なら失うものは何もない。選手たちにも、そう伝えたことを覚えています」

 6位の大分が準決勝で戦う相手は、3位の京都サンガF.C.であった。京都は第39節から2位をキープしていたものの、すでにJ1昇格を決めていた甲府に最終節で痛恨のドローを喫し、2位の座を湘南に譲ってのプレーオフ出場となった。

「京都に対しては、どちらかというと苦手意識がありました。大分の監督になった1年目は2敗していましたから。監督は大木武さんで、細かくパスをつなぐサッカーに対して相性が良くなかった。でもこの年は、京都に2勝していましたし、順位が下のわれわれはとにかく点を取って勝つしかない。だから『最初から全力で行くぞ!』と選手たちを送り出しました。そうしたら前半(17分)にデカモリシ(森島康仁)のFKが決まって先制。その後は相手が前に出てきたので、カウンターからポンポン決まりましたね」

 終わってみれば、森島の4連続ゴールで大分が4−0で京都に圧勝。裏の試合では、千葉が横浜FCに同じく4−0で決勝進出を決めた。かくして、初のJ1昇格プレーオフの決勝戦は、大分対千葉というカードに決定。11月23日に国立競技場で行われる運命の一戦は、両クラブの関係者のみならず、多くのサッカーファンが注目するところとなった。

<後編(1月25日掲載)につづく。文中敬称略>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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