長嶋茂雄様 天才の君へ 『野村克也からの手紙』

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2月に行われた巨人とホークスのOB戦。野村氏(手前)は(左から)長嶋茂雄氏、張本勲氏、王貞治氏と記念撮影 【写真は共同】

“ミスター・プロ野球”の長嶋茂雄氏と、“生涯一捕手”野村克也氏。1936年2月生まれと35年6月生まれの同学年は、ともにプロ野球80年の歴史を作ってきた。「バッターとしてのタイプもリーグも違うので、ライバル意識はなかった」と話す野村氏だが、メディアに比較されることも多く、長嶋氏が常に気になる存在として近くにいたことは明らかだ。ただ、ゆっくり2人で話をする機会は意外にもなかったという。

 そこで、思いを改めて伝えてみようと、野村氏が筆を執った。性格の違いから「俺たちは話がかみ合いそうにない」とぼやきながら、書き進めた手紙。綴られた長嶋氏の姿は、天才であり努力家でありプロ中のプロだ。

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今でもお前がひまわりで、俺は月見草

 振り返れば、お前との縁はもうずいぶん長いものになるが、ゆっくり2人で話をしたことはなかったな。

 思うに、俺たちは話がかみ合いそうにないのだ。昔、俺が名球会の総会を欠席したとき、幹事だったお前に電話でやんわり説教された。お前は機関銃の如くしゃべりまくり、俺がちょっとしゃべろうとすると、その何倍もの言葉を返してきた。せめて句点まで言わせてほしかったが、俺が読点に行きつくたびに、お前は話の腰を折ってきた。言っていることは間違っていないし、温かみもあった。それでも俺はほとほとまいったよ。

 お前は、東京六大学の大スターだった。鶴岡さんが大沢(啓二)さんを使って、お前と杉浦を南海に勧誘していることは知っていた。あるとき東京遠征の宿でわれわれが雑談をしていたら、大沢さんが帰ってきて、こう言った。

「俺の(立大の)後輩の杉浦、長嶋が南海に来ることになったから、よろしく頼むよ」

 俺は複雑な心境だった。「長嶋が来たら、俺は四番を下ろされるのかな」と思ったからだ。そんな話を新聞記者にしたら、「君はキャッチャー。疲れるポジションなんだから、五番でいいじゃないか」とあっさり言われてしまった。
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