古田敦也様 第二、第三の人生を歩む君へ 『野村克也からの手紙』

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古田氏への手紙は、期待と愛情あればこその忠告だった 【写真は共同】

 プロ野球界は名監督、名捕手がいない時代だといわれている。それを嘆くのは、かつての名将、名捕手・野村克也氏だ。野村氏がその捕手としての心得を伝え、育てた一番弟子といえば、古田敦也氏。野村氏がヤクルト監督1年目の1990年に入団し、球界を代表する名捕手に育った。次に行くのは名監督への道とばかり、その歩みを信じていたのが野村氏だった。

「君は頭脳明晰で、キャッチャーに必要な力を持ち合わせていた。そして、自分の考えを人に伝える“言葉”も持っていた。だから私は、君がいい監督になると思っていた」

 しかし、思い通りにはいかないのが野球、そして人生だ。師から愛弟子へ初めて書く忠告は、厳しくも期待と愛情あればこそだ。

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人はジャンプするとき、いっぺんヒザを曲げ、体を沈み込ませる

 俺は君に多くの面で期待してきた。捕手として、末は監督として楽しみな存在だと思っていた。

 振り返れば日本球界では長く、「メガネをかけた捕手は大成しない」と言われていた。

 しかし89年のドラフト前、スカウトが「メガネをかけていますが、即戦力のいいキャッチャーがいます」と言ってきた。それが、君だった。

 チームの屋台骨は、バッテリーだ。ヤクルト監督就任1年目のあの年、最初の仕事は正捕手づくりだった。そんな中、入団時のキャンプから君の送球、捕球能力は群を抜いていた。肩はさほど強くないが、送球動作がとにかく速い。捕球も腰がしっかり落ちて、安定していた。

 しかし私はあの年しばらくは、中堅どころの秦真司をしばらくは正捕手として使う腹積もりでいた。私の中には、「大卒、社会人の捕手は大成しない」という考えがいまだある。大学、社会人の間に、変なクセをつけてくる選手が多いためだ。君にはそういったおかしなクセは特に見当たらなかったものの、その華やかな経歴が、私には引っ掛かった。立命館大、社会人のトヨタ自動車で活躍。日本代表としてソウル五輪に出場し、野茂英雄らをリードして銀メダルを獲得したエリートだ。そういう選手をいきなりレギュラーに抜擢しては、プロを甘くみてしまう。君の将来のためにも、チームのためにも、よくないと思った。

 秦はバッティングセンスに優れていたが、いかんせん送球、捕球に難があった。ピッチャーが投げる直前、ミットを下げるクセがあり、そのせいでパスボールの多い選手だったのだ。日本のキャッチャーは秦に限らず、この「ミットを落とす」クセが目に付く。

 今の選手でいうなら、巨人の小林誠司。一度ミットを構えた後、一瞬ミットを下向きに閉じ、再び開いて捕る。ああやって反動をつけていると、ピッチャーが高めの速球を投げたとき、どうしても反応が遅れてしまう。パスボールの原因にもなるから、改めたほうがいいクセだ。

 そもそもピッチャーは(人にもよるが)、基本的にキャッチャーのミットを目がけて投げてくるのだから、その目標物を動かしてはいけない。単純かつ当たり前のことなのに皆、なかなかそこに気がつかないものだな。

 君はプロ入りのころから唯一、このクセがない選手だった。もともと正しい捕球が身についていたのか、途中で教わったのか、聞く機会を逸したが、日本のキャッチャーとしては珍しい。

 開幕から3週間、ひとまずセ5球団との対戦が一回りしたあたりで、君を呼んだ。

「『八番・キャッチャー』のレギュラーをやるから、打率は頑張って2割5分打て。そのぶん、配球を勉強しろ」
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