プロへの目標を定めた「内川聖一杯」 ソフトB育成4位・中村宜聖の転機

週刊ベースボールONLINE
「育成のホークス」と言われて久しい福岡ソフトバンク。日本シリーズでは、甲斐拓也が育成選手出身者として初のMVPを受賞。練習環境が充実しており、スカウトの先見の明も見逃せない。今年も育成4位で、攻守走3拍子そろった大型外野手・中村宜聖(西日本短大付高)を獲得した。

父は甲子園優勝に導いた主将

西日本短大付高の甲子園優勝時に主将だった父を持つ中村。プロを目標に定めたのは、あの大打者との出会いだった 【写真=BBM】

 西日本短大付高の専用グラウンドの上には1992年夏、甲子園全国制覇を記念した石碑がある。中村はこの周辺の掃除をこの1年間、担当してきた。背番号3の部分には、偉大な父の名前が刻まれている。

 父・壽博さんは26年前の夏、甲子園で頂点に立った当時の主将だ。高校卒業後、早稲田大では3年秋に首位打者を獲得。日米大学選手権の大学日本代表メンバーに名を連ねるなど、右の大型三塁手として活躍した。大学卒業後は同大助監督を経て、その後は、日本文理大(大分市)の監督として、2003年の全日本大学選手権では九州勢初優勝へと導いている。

「自分も甲子園で全国制覇したい!! と考えながら作業を進めていました」

 木々に囲まれており「落ち葉との持久戦ですよ」と、苦笑いを浮かべながらも、卒業まで任務を全うする。中村にはこうした地道な取り組みでも継続できる“力”がある。育成選手からプロ野球人生をスタートさせる現状において、最も必要な素質と言える。今年のドラフトでは育成枠を含めて計104人が指名を受けたが、中村は103番目にコールされた。

「育成4位なので、ここからはい上がっていくしかない。誰よりも一番努力して、1日でも早く支配下になるよう頑張る」

 明るく前向きに語る姿は父とそっくりだ。持ち前のパンチ力で、右打席から放たれる豪快な打撃も、しっかりと野球DNAが引き継がれている。

内川から「一緒にやろうな!!」

 中村は小学校1年時に野球を始めたが、その1年後には、高校の進学先を父の出身校・西日本短大付高に決めた。「自宅に甲子園優勝当時の写真が飾ってありまして、胸マークの『西短』が格好いいな、と。あのユニホームを着たい」。それ以来、思いがブレることはなかった。

 小学6年時にも、転機が訪れる。地元・大分での「内川聖一杯」に出場した中村は、開会式で選手宣誓を務めた。

「最初のあいさつで、内川さんが『この中からプロ野球選手が出ることを楽しみにしています』と。その言葉を受けて、自分も『プロ野球選手を目指して頑張ります!!』と。その後、内川さんから『一緒にやろうな!!』と言葉をいただいて……。プロを現実的な夢として意識し始めたのは、内川さんと握手をしてからです」

 幼少時は父が指導する日本文理大のグラウンドで、ボールを追いかけた。大学生が遊び相手になってくれたのが思い出だ。2歳下の次男・敢晴さん(筑陽学園高1年の1番・遊撃手。18年秋の九州大会優勝で来春のセンバツ出場が確実)、中学1年の三男・旭伸さん(大分明野ボーイズ)と野球に囲まれて育ったが、父から助言された経験はない。唯一、言われたのは「自分の感覚を大事にしろ!!」である。

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