プロへの目標を定めた「内川聖一杯」 ソフトB育成4位・中村宜聖の転機
父は甲子園優勝に導いた主将
西日本短大付高の甲子園優勝時に主将だった父を持つ中村。プロを目標に定めたのは、あの大打者との出会いだった 【写真=BBM】
父・壽博さんは26年前の夏、甲子園で頂点に立った当時の主将だ。高校卒業後、早稲田大では3年秋に首位打者を獲得。日米大学選手権の大学日本代表メンバーに名を連ねるなど、右の大型三塁手として活躍した。大学卒業後は同大助監督を経て、その後は、日本文理大(大分市)の監督として、2003年の全日本大学選手権では九州勢初優勝へと導いている。
「自分も甲子園で全国制覇したい!! と考えながら作業を進めていました」
木々に囲まれており「落ち葉との持久戦ですよ」と、苦笑いを浮かべながらも、卒業まで任務を全うする。中村にはこうした地道な取り組みでも継続できる“力”がある。育成選手からプロ野球人生をスタートさせる現状において、最も必要な素質と言える。今年のドラフトでは育成枠を含めて計104人が指名を受けたが、中村は103番目にコールされた。
「育成4位なので、ここからはい上がっていくしかない。誰よりも一番努力して、1日でも早く支配下になるよう頑張る」
明るく前向きに語る姿は父とそっくりだ。持ち前のパンチ力で、右打席から放たれる豪快な打撃も、しっかりと野球DNAが引き継がれている。
内川から「一緒にやろうな!!」
小学6年時にも、転機が訪れる。地元・大分での「内川聖一杯」に出場した中村は、開会式で選手宣誓を務めた。
「最初のあいさつで、内川さんが『この中からプロ野球選手が出ることを楽しみにしています』と。その言葉を受けて、自分も『プロ野球選手を目指して頑張ります!!』と。その後、内川さんから『一緒にやろうな!!』と言葉をいただいて……。プロを現実的な夢として意識し始めたのは、内川さんと握手をしてからです」
幼少時は父が指導する日本文理大のグラウンドで、ボールを追いかけた。大学生が遊び相手になってくれたのが思い出だ。2歳下の次男・敢晴さん(筑陽学園高1年の1番・遊撃手。18年秋の九州大会優勝で来春のセンバツ出場が確実)、中学1年の三男・旭伸さん(大分明野ボーイズ)と野球に囲まれて育ったが、父から助言された経験はない。唯一、言われたのは「自分の感覚を大事にしろ!!」である。