プロへの目標を定めた「内川聖一杯」 ソフトB育成4位・中村宜聖の転機
甲子園出場なしも、着実に階段上がりプロへ
父が主将だった1992年夏の甲子園全国制覇を記念した石碑の前で、ソフトバンク・王球団会長(右)と工藤監督(左)からのサインボールを手に 【写真=BBM】
入学当時は181センチ78キロと細身だったが、徹底したトレーニングで10キロ増。ウエートアップしながらも、50メートル走では6.3秒から6.0秒とスピードを高めた。また、フリー打撃では推定130メートル級のレフト場外弾を連発し、逆方向でもサク越えが可能なパワーを身に付けた。1日1000スイングという、努力のたまものだ。打撃では「タイミング」を大事にしており、ティー打撃でも緩急をつけてもらう中で対応する練習を重ねるなど、下半身主導のフォームをしっかりと固めてきた。
外野守備でも強肩が武器で、実戦では何度も鋭い送球で相手校の走者を刺してきた。3年夏の南福岡大会は「気合が空回りした」と3回戦敗退。自身も8打数1安打と本来の力を発揮することができなかった。
しかし、進路希望は不変だった。「両親や監督、コーチとも相談しましたが、プロに挑戦したい思いを伝えると、後押ししてくれた」。10月25日のドラフト当日は、インターネットの生中継で、育成ドラフト4位指名を確認している。
「最後のほうだったので、緊張して待ちました。自分の立場として『ライバル』とは言えませんが、中学時代のボーイズで一緒だった小幡竜平(延岡学園高→阪神2位)が指名されました。負けないようにしていきたい思いが強いです」。尊敬する父からは「おめでとう。プロは厳しい世界だが、頑張れ!!」と激励された。
目指すは「内川さんのように頼りにされる選手」
「プロで挑戦できる喜びと同時に、早く支配下選手として1軍で活躍したいという思いが芽生えて、身が引き締まりました。ソフトバンクは日本一強いチームです。日本一の環境で野球をさせてもらえるのは、素直にうれしい」
ソフトバンクは3軍をはじめとしたファーム組織が充実し、練習設備も申し分ない。2年連続で頂点に立った日本シリーズでは甲斐拓也が育成選手出身初のMVP受賞と、飛躍する土壌もある。「1日1日を大切に過ごして、先輩たちのようになりたい」と目を輝かせ、外野だけでなく、高校3年春に守った三塁手にもチャレンジする。
目指す選手像は、内川だ。「出身が大分なので、内川さんのようにチャンスで一本が出せて、チームから頼りにされる選手になりたい。目標は首位打者。打率を一番に考えますが、最終的には長打も打てるバッターが理想です」
あこがれの内川と同じユニホームを着る日まで、もう間もなくだ。すぐにあいさつへ出向くのかを聞くと「行きたいですが……できないです」と遠慮気味。「内川聖一杯」から誕生した待望の後輩に、大分の先輩は大歓迎するに違いない。
(取材・文=岡本朋祐)