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紀平と宮原は「敵ではなく良いライバル」
試合前、濱田コーチが2人に話した言葉

見ごたえのある勝負を見せた紀平と宮原

ポテンシャルの高さを見せ優勝を果たした紀平(右)と精いっぱいの演技を見せた宮原
ポテンシャルの高さを見せ優勝を果たした紀平(右)と精いっぱいの演技を見せた宮原【坂本清】

「濱田先生のお母さまのご実家が広島なので、この地で演技することができて、すごくうれしいですし、感謝の気持ちを伝えるためにも、ショート・フリー共に良い演技がしたい、という気持ちで今ここに来ています」


 ショートの演技を終えた後のミックスゾーンで、地元の高校生に被爆地である広島で滑った感想を問われた宮原知子は、そう答えた。


 第40回を迎えた今季のNHK杯は広島で行われた。女子シングルで優勝した紀平梨花、2位になった宮原は、同じ濱田美栄コーチの下で日々一緒に練習している。ショートプログラムでは宮原が強みである完成度の高い滑りを見せて2位につけ、大技・トリプルアクセルに挑んで転倒した紀平は5位と出遅れた。


 しかし翌日のフリーでは、今季克服しつつあったジャンプの回転不足という課題を、またもとられてしまった宮原の点が伸び切らなかったのに対し、紀平はトリプルアクセルを2本成功させただけでなく、他のジャンプも含むすべての要素で加点を獲得。154.72という高得点を挙げた紀平が、シニアのグランプリ(GP)シリーズ初戦での優勝を果たし、宮原は惜しくも2位に終わった。自らの演技で圧倒的なポテンシャルの高さを示した紀平に対し、宮原も精いっぱいの滑りを見せて激しく競った、見ごたえのある勝負だった。


 紀平の高得点に対し、濱田コーチには驚きはなかったようだ。

「悪い時はすごく悪いので割と波があるんですけれど、練習の時の一番良い滑りが出れば、それぐらいは(点が)出ると思っていました」


 調子のアップダウンが激しいという紀平に、今季濱田コーチがよく言っているという言葉がある。


「言い訳するな」という言葉だ。

濱田コーチの「言い訳するな」という言葉の真意

演技後、ガッツポーズを見せた紀平。試合前は濱田コーチの話を真っ直ぐ聞いていたという
演技後、ガッツポーズを見せた紀平。試合前は濱田コーチの話を真っ直ぐ聞いていたという【坂本清】

 教え子2人が表彰式に臨んでいる間に取材を受けた濱田コーチは、「言い訳するな」という言葉の真意について、こう語っている。


「広島でのNHK杯には、すごく私自身がこだわっていて……。というのは、うちの母は広島で11歳の時に被曝しています。ショートの前、2人と一緒にご飯を食べている時に『忙しくてお墓参りもなかなか行けていなかったので、NHK杯で広島に連れてきてもらったことを私は感謝している』という話をしました」


 表彰式が行われているリンクから君が代が聞こえてくる中、濱田コーチは話し続けた。

「この街はまったくの焼け野原から、ここまで自分で立ち直ったわけじゃないですか。広島の人が悪いことしたわけじゃない。でも、この街は人のせいにせずに、普通の街に戻った。だから人のせいにするな、そう思います。私はそうやって育ってきたので。『みんな文句を言う場所もなかったよ』とよく(母に)言われました」


 1945年8月6日(広島市に原爆が投下された日)、濱田コーチが会ったことのない伯母(母の姉)は、13歳でこの世を去っている。


「私の伯母の話を2人にしました。今こうやって才能とチャンスに恵まれたんだから、それを生かして、思い切りやってほしいと。ちゃんと好きなことをやり続けられる世の中に生まれたのだから、ベストを尽くそうという話をしました」


 宮原と紀平は、話をじっと聞いていたという。

「2人とも、すごく真っ直ぐ私の目を見て聞いてくれたので、本当に真っ直ぐ受け取ってくれたと思います」


 NHK杯のエキシビションが終わったら、濱田コーチは2人を連れて、原爆資料館にある伯母の遺品を見に行くことにしているという。

沢田聡子

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

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