【浦和レッズ】前田直輝や安部裕葵から学び…「ゼロからのスタート」と覚悟を決めた早川隼平は埼スタで何を感じたか?

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 それは今季9試合目にして、初のベンチ入りだった。

 4月20日、ホームで行われた明治安田J1リーグ第9節のガンバ大阪戦で、早川隼平は埼玉スタジアムの芝生を踏みしめながら思っていた。

「キャンプから身体が動いている実感はあって、日ごろの練習でも自分らしいプレーはできていると思っていました。それでも、ずっと試合に出場するメンバーに入れなかったので、選ばれるには、もっと自分の何かを変えなければいけない、もしくは自分の何かを変えられたときになるのではないかと、イメージしていました。それだけに、このタイミングでメンバー入りしたことに、待ちわびていた気持ちと驚きの両方を抱きました」


 しかし、メンバー入りこそ果たしたものの、出番が巡ってくることはなかった。選手が次々に呼ばれ、途中出場していくなか、ウォーミングアップエリアで身体を動かしていた早川は、再び思っていた。

「自分が試合に出たらやれる自信はありました。(興梠)慎三さんが途中出場して前線に入り、右サイドバックはヒロ君(石原広教)だった。特にふたりとは、キャンプでも練習試合でも、一緒にプレーして関係を築けていただけに、なおさらやれる自信はありました。だから、率直な心境としては、『試合に出たい』というよりも、『自分を使ってくれ』という気持ちのほうが強かったかもしれません」

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 願望よりも意志に近い感情は、選手としてむしろ健全で、頼もしさすら覚える。

「チームが試合に勝っていたらまた違った感情を抱いたかもしれませんが、0-1で負けていただけに、なおさら試合に出たかったなって。久々にメンバー入りして、やっぱり、自分はあのファン・サポーターの前でプレーしたいし、埼玉スタジアムのピッチに立ちたい。それくらい、ピッチの外になるスタンドから試合を見ているのと、ベンチとはいえ、中から見るのとでは違いを感じました」

 2023シーズンは、浦和レッズユースに在籍しながら、夏には早くもプロ契約を締結した。4月19日の湘南ベルマーレ戦で公式戦初ゴールをマークし、AFCチャンピオンズリーグ2022決勝の舞台も経験するなど、振り返れば公式戦22試合に出場した。


「確かにいろいろな経験はできましたし、多くの試合にも出させてもらったと思っています。そうしたいい経験ができたと思う一方で、チームの結果に関わるという意味では、自分の力は出せなかったと思っています。

 ゴールも、アシストも、攻撃においても、チームのために自分がプレーでどうにかすることはできなかった。それが悔しくて。ただ単に、とは思わないまでも、純粋に経験することはできた、というだけで終わってしまった1年だったと思っています」

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 21年の鈴木彩艶に続いてニューヒーロー賞に選ばれたYBCルヴァンカップでの自分への評価も厳しい。

「昨季までは21歳以下の選手をひとり、先発に含めるという大会のレギュレーションがあったから、自分は試合に出られていたと思っています。決勝戦はそうした規定もあり、先発できましたけど、何もできずに前半を終えて交代した。

 その大会規定は、昨季の自分にずっとつきまとっていたと思っていて。大会の規定があるから、『早川は使うよね。でも、何もできなかったよね』って。規定によってチャンスを得ながら、実際に何もできなかったことが本当に悔しかった。

 例えばですけど、パフォーマンスが悪くても1点を取って交代していれば、チームのためにはなっていたかもしれない。チームのためにもっと走って、もっと闘って、ギリギリのところで窮地を救ってクリアする。数字には表れないかもしれませんが、そのほうがチームのためになっていたのではないかって」


 さらに早川は言葉を吐き出す。

「そうした自分への不甲斐なさ、もどかしさは、シーズンを通して、自分の心に突き刺さっていたし、気持ち的にも強く残っていました」

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 新体制発表記者会見にも参加したように、今季は真っ新な気持ちで、浦和レッズの選手としての一歩を踏み出した。

 指揮官にペア マティアス ヘグモ監督が就任したことも、「自分はゼロからのスタートになる」と、気持ちを引き締める契機になった。

「ここまで試合に出場していた選手、出場していない選手。さらには監督が希望してチームに加わった選手と、それぞれのキャリアを考えると、ユースから昇格した自分は、ゼロからのスタートだろうなと思ってシーズンに臨みました。

 キャリアを築いてきた選手と、ユースから昇格したばかりの自分が、同じだけのチャンスをもらえるとは思わないし、そのチャンスが例えば10回と1回だとしたら、その1回でどう結果を残していくかを常に自分に問いかけています」

 沖縄トレーニングキャンプに向かう前の練習で、主なトレーニングから外れ、外から見守る機会があったことも、覚悟を決める契機になった。

「心境としては、開き直るじゃないですけど、むしろ清々しいくらいでした。チーム内で明らかな序列があって、その一番下から自分は這い上がっていかなければならない。だから、落胆することなく、自分はここから頑張ってやってやろうって。


 ゲーム形式の練習に入れず、シュート練習をやるときも、これで自分のシュート技術を磨くことができると考えました。そうやって自分に言い聞かせることで、ここまでやって来られたと思っています」

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 その姿勢は、チャレンジ中のウイングでのプレーの幅を確実に広げている。

「試合に出場する可能性の高い選手は、どうしても監督の意向に応えようとする姿勢が強くなりますよね。でも、その可能性が低かった自分は、心境としても前向きに自分自身と向き合えていたように、試行錯誤しやすい状況にありました。

 サイドに張っているだけでは個性も生かせないと考え、上下動するだけでなく、ときに内側に入っていき、サイドバックを生かすプレーも意識しました。もちろん、監督が求めることには応えつつ、自分なりのチャレンジはしやすい状況にあると思っています」

 居残りでの練習や、メンバー外の練習、さらには練習試合を見てくれた池田伸康コーチの言葉も、自分の技術や能力に磨きをかける力になっている。

「ノブさんが『チームとして必要なときには必要な場所にいてほしいけど、チームのやり方のなかで自分がやりやすいように、思い切ってプレーしてみろ』って言ってくれたことは大きかったですね。だから、チームとしての約束ごとは守りつつ、自分のなかでアレンジしていくことができています」

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 同ポジションや近くでプレーする先輩たちからも多くを吸収し、自身の成長に磨きを掛けている。

「(前田)直輝君は、縦にランニングする回数が多く、ドリブルの成功率も高い。ひとりで相手を抜くこともできるし、相手を抜き切らずにクロスを上げる技術はすごいなと思っています。そこは今すぐ、取り入れられるところだと思いますし、直輝君のように自分も何かひとつ武器を作れればと思っています」

 前田から技術を学んでいるとすれば、安部裕葵からは賢さを学んでいる。

「裕葵君は、技術的なところも抜群にうまいのですが、それ以上に、自分がここで前を向いたら、相手がこうなるから、ここが空くといったように、逆算したプレーもうまい。裕葵君に言われた『(スペースがない)狭い状況でも一度、前を向いてみなよ。そのあと無理なら、後ろに戻せばいい』というアドバイスは心に残っています。プレーだけでなく、考え方も含めて、盗み、話せる先輩たちがいる浦和レッズの環境に、ホントに感謝しています」

 自身の個性を生かしつつ、先輩たちから学び、吸収する日々は、早川を高みに導いているのだろう。

「ウイングは試合の結果を左右する重要なポジション。ウイングに仕事をさせるために、アンカーやインサイドハーフも動いてくれているとすら感じるので。だからこそ、ウイングの選手には、ラストサードのところでのクオリティーが求められる。シュートや、アシストいった数字につながるプレーは、どこのチームに行っても、どこの国でプレーしても、ウイングに求められることだと思います。


 自分のなかでも、ある程度は、その形というのは見えてきていますが、自ら抜く、自ら考えるといった部分では、まだまだ自分の形は少ないので、増やしていかなければならないと思っています」

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 追い求めているのは、前田や中島翔哉、大久保智明、松尾佑介といった先輩たちが、それぞれスタイルを確立しているように、早川なりの形を見出すことである。

 18歳――その可能性は無限に広がっている。

「まだまだ自分は形がないからこそ、先輩や監督から言われたことを吸収しやすい一面もあると思っています。監督から言われたことをすぐに表現しようとするところは、ある意味、自分の特長のひとつだと思っています」

 トライ&エラーを繰り返す姿勢は、マティアス監督からも認められている。

「監督からも、『自分でも感じていると思うけど、成長しているように見える』と言ってもらいました」

 さぞ成長を噛み締めていることだろうと思いきや、天の邪鬼な一面を覗かせる。そこも、早川が成長を止めないゆえんなのだろう。

「監督は成長していると言ってくれましたけど、本当に成長しているかどうかは、自分ではまだ分かっていないところもあります。練習でできていても、試合でそれができなかったら、成長していることにはならいですからね」

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 早川は「ひねくれてますかね」と言って笑う。

「今、苦しんでいる感覚はそれほどないんです。きっと、試合に出て何もできないほうが苦しさはより感じると思います。現時点では、自分は試合に絡めていないので、練習で判断していくしかない。もちろん、苦しいし、悔しいけど、試合でその苦しさや悔しさを感じられるようになれたらと思います」

 昨季、その苦しさや悔しさを味わったからこその言葉だった。早川はピッチのなかで成長を実感する日を迎えるために、今を駆けている。

(取材・文/原田大輔)
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著者プロフィール

1950年に中日本重工サッカー部として創部。1964年に三菱重工業サッカー部、1990年に三菱自動車工業サッカー部と名称を変え、1991年にJリーグ正会員に。浦和レッドダイヤモンズの名前で、1993年に開幕したJリーグに参戦した。チーム名はダイヤモンドが持つ最高の輝き、固い結束力をイメージし、クラブカラーのレッドと組み合わせたもの。2001年5月にホームタウンが「さいたま市」となったが、それまでの「浦和市」の名称をそのまま使用している。エンブレムには県花のサクラソウ、県サッカー発祥の象徴である鳳翔閣、菱形があしらわれている。

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