原点は部員8人でつかんだインハイ優勝 ホッケー瀬川真帆が岩手で知った楽しさ

平野貴也

故郷・岩手で過ごしたホッケーの過程

アジア大会優勝に貢献した瀬川(写真左)。故郷・岩手で培ったプレスバックは現在の日本代表でも生きている 【写真:森田直樹/アフロスポーツ】

 日本代表でも存在感を見せている瀬川にホッケーの楽しさ、苦難を乗り切る喜びを教えてくれたのは故郷だ。

「地元には常に帰りたいです。ご飯がおいしいところですよ。冷麺もお魚も山菜も……全部!」と笑って話す瀬川は、ホッケーが盛んな岩手県岩手郡岩手町の出身。小学生になった頃はサッカーに興味を持っていたが、地元のホッケーチームが人数不足だと聞く。そして競技経験者の母親から勧められた影響もあり、小学3年生からホッケーを始めた。

「高校生になるまでは本気でやるつもりはなくて、日本代表の試合を見たこともありませんでした。でも、振り返れば、岩手で過ごしたホッケーの過程がすごく楽しかった」

 選手として台頭する大きな転機となったのは、14年のインターハイだ。

 瀬川が通っていた沼宮内高校は人数不足だった。11人で戦うホッケーだが、当時の部員は9人。その上、1人がケガで出られず、他の部から3人借りて試合に臨んだ。実質、頼れるメンバーが8人しかおらず、1人で何役もこなさなければならなかったが、チームは日本一に輝いた。瀬川は「8人で優勝して、すごく楽しかったし興奮した。誰かに頼るチームじゃなくて、みんながうまいチームだった」とホッケーで勝つ楽しさに満たされた夏を振り返った。

 8人で勝利を目指す中、自然と身についたプレーが現在の日本代表でも生きている。攻撃から守備に移る際のプレスバックだ。

「カウンターを受けるときの戻り足は、自分の中では大事にしています。たとえ逆サイドだったとしても、自分が優位な位置まで戻ってから休みます。誰かにそうしなさいと教わったわけではないですけど、高校のときは人数が足りなくて、戻らなければどんどん穴が開いてしまうので自然と戻っていたし、そこでやられなければ失点しないこともわかった。癖になって身についたことです」

アジア大会優勝も「ここで終わりじゃない」

「ここで終わりじゃない」。アジア大会優勝後、瀬川は早速、成長に向けた課題を口にした 【岡本範和】

 才能を感じさせる攻撃力と、岩手で育んだ粘りのある守備力。今後さらに成長が期待できる瀬川は、東京五輪のメダル獲得を目指すホッケー女子日本代表の大きな力になるはずだ。

 日本代表は、昨年5月に就任したアンソニー・ファリー監督の下、敵陣から積極的にボールを奪いに行くハイプレス戦術を採用。W杯で世界4位のニュージーランドを破るなど、効果を見せている。アジア大会では、プレスがかかる前に縦パスを通されてピンチになる場面も見られたが、W杯で課題となった調子の波を抑えることに成功した。東京五輪でメダルを獲得するためには、アベレージと爆発力の両方を高めなければならない。瀬川はアジア大会を優勝した後で、こう言った。

「ここで終わりじゃない。W杯では決勝トーナメントに行けずに悔しい思いをした。その後で、アジア大会を勝ち切れたことは自信になる。今後につなげたい。日本しか持っていない走力とプレスがある。自信を持って戦える。カウンターで相手ボールになることが多い課題があるので、そこは止め切りたい。個人的にはまだブランクの影響があるので、体力と技術を高めたいし、今大会はDFの位置まで下がることも多かったので、守備も強化したい」

 目標は2年後の夢舞台。もう一度、表彰台に笑顔で上る。そのために、足りないものを見つければ、挑戦し、克服する。岩手で身につけたサイクルで、彼女は成長し続ける。

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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