江の島の海で「とにかく金メダルを」 セーリング土居愛実が目指す3度目の五輪

岩本勝暁
 2020年東京大会そして世界に向けて、それぞれの地元から羽ばたくアスリートを紹介する連載企画「未来に輝け! ニッポンのアスリートたち」。第26回は神奈川県出身、セーリング日本代表、通称『日の丸セーラーズ』の土居愛実(アビームコンサルティング)を紹介する。

「ジュースに釣られて」始めたセーリング

セーリングで3度目の五輪出場を目指す土居愛実 【スポーツナビ】

 セーラーには、美しき血が流れている。

 人類愛の金メダル――、こう称えられたエピソードがある。1964年に開催された東京五輪でのことだ。

 その日、ヨット競技の会場となった江の島ヨットハーバーには、風速15メートルに及ぶ強風が吹き荒れていた。故障や沈没するヨットが続出した。そんな中、順調に先頭集団を追っていたのが、スウェーデンのラース・キエル、スリグ・キエルの兄弟だ。ところが、前を走っていたオーストラリアのヨットが事故に遭い、一人の選手が海に投げ出された。それに気付いたキエル兄弟はすぐにレースを中断。コースを逆走して、転落した選手の救出に向かったのだ。

 オーストラリアの選手は無事に助け出され、キエル兄弟はレースを再開。しかし、失った時間はあまりに大きく11位という結果に終わった。それでも2人は、レースよりも人命を優先したことを「海の男として当然のこと」と笑顔で語ったという。国境を越えたスポーツマンシップは賞賛され、当時の新聞でも大きく取り上げられた。

 “美しきセーラーの血”を受け継ぐのが、レーザーラジアル級で東京五輪を目指す、25歳の土居愛実だ。
 セーリングを始めたのは小学2年の時。2歳上の兄(男子470級リオデジャネイロ五輪日本代表の土居一斗)の練習について行ったのがきっかけだ。

「ジュースに釣られて(笑)。お兄ちゃんのコーチに『ジュースを20本あげるからセーリングをやろう』と言われたんです。オレンジジュースとりんごジュース。毎週日曜日が練習だったので、交互に持ってきてくれました」

 海の上での記憶はあまり残っていない。どちらかというと恐怖心。やめたいと思ったことは何度もある。それでも、スキルが上がっていくに従って、ヨットに乗ることが楽しくなってきた。小学4年の頃には「ナショナルチームに入って海外に行きたい」と思うようになった。

飯島コーチ、土居は「頭がいい選手」

16年のリオデジャネイロ五輪には、兄の一斗(左)とともに出場した 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】

 セーリングは自然を相手に戦う競技だ。風を受けるセール(帆)をエンジンに、波を切る舵(かじ)をハンドルに例えると分かりやすい。つまりは、セールをうまく使えばスピードがアップする。4.23メートル×1.37メートルの艇体を操るハンドリングとバランスも求められる。風を読み、潮の流れを見極める力が、アスリートとしての力量を左右すると言えよう。

 ナショナルチームの飯島洋一コーチは、高校生だった土居に「ラジアルという船があるから乗ってみなよ」と勧めた人物だ。セーリング界のエースについてこう話す。

「頭がいい選手ですね。僕自身、今までいろいろな選手と接してきたけど、言っても聞かない人がいれば、言ったことが伝わらない人もいる。また、考えてやろうとしている人と、考えているけどやらない人もいる。(土居は)言われたことを自分で考え、それを実践できる選手です」

 土居が補足する。

「ヨットはほぼ感覚。波も違うし、風も違いますから。同じ状況というのがない。それに対応していくんです。船をどうフラットにしていくか。それを言葉で表現するのは難しいですね」

世界での立ち位置を知った、過去2度の五輪

12年ロンドン、16年リオと五輪2大会に出場。そこで味わったのは悔しさだった 【スポーツナビ】

 五輪を本格的に目指すようになったのは高校2年の時。ユースの世界選手権で銀メダルに輝いた。日本人初の快挙だった。たくさんの取材を受けるうちに五輪に出場できる可能性があることを知った。
 そして、2012年の世界選手権で日本人最高の52位になり、ロンドン五輪の出場権を獲得する。結果は31位。世界での立ち位置を知ることになった。

「言い方は悪いですが、ロンドン五輪の出場はラッキーな面もありました。『五輪に出たい』と強く思って出場したわけではありません。でも、その後の4年間は、リオデジャネイロ五輪(以下、リオ五輪)のためにどうするかをずっと考えながら活動してきました。そこにかける思いは強かったですね」

 スピードの強化に加え、風の見方を学んだ。気象も一から勉強した。ヨットをうまく操るために体を大きくするなど、生活のすべてがセーリングを中心に回っていた。

 しかし、リオ五輪の結果は20位。ロンドン五輪から順位は上げたが、納得のいく結果ではなかった。本来の力を発揮していれば、もっと上位に行けたはずだ。悔しさが募った。

「力を出し切れませんでした。頭が真っ白になって、風が見えないし、どう変わっているかも分からない。よく言うじゃないですか? 五輪には魔物がいるって。まさにそうだと思って。4年に一度の、その日のためだけに練習を重ねてきて、緊張もするし、今までなかった状態にも陥る。そのため、今年からメンタルトレーニングを取り入れて、どうしてそういう状況に陥ったのかを検証しているところです」

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著者プロフィール

1972年、大阪府出身。大学卒業後、編集職を経て2002年からフリーランスのスポーツライターとして活動する。サッカーは日本代表、Jリーグから第4種まで、カテゴリーを問わず取材。また、バレーボールやビーチバレー、競泳、セパタクローなど数々のスポーツの現場に足を運ぶ。

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