ロッテ・岡田が現役生活を振り返る 育成から攻めて築いた「エリア66」
引退試合、声援に「込み上げてくるものが」
10年間のプロ生活に別れを告げた岡田。引退試合では約2年ぶりの安打を含む3安打をマークした 【写真:BBM】
引退試合、引退セレモニーを開催してもらえるとは思っていませんでした。球団に引退を伝えたときに「引退セレモニーを考えている」と言われたときはうれしかったですね。同時に、「本当に終わってしまうんだ」という気持ちに襲われました。10年間ロッテに育ててもらい、そのすべてを出し切ろう、楽しくやろうと思っていたのですが、いざ当日になると緊張しましたね(笑)。
対戦相手のソフトバンク球団にも感謝しています。クライマックスシリーズを控えた時期だったし、第2打席ではいい当たりのショートライナーを高田知季選手に捕られてしまいましたが、真剣にプレーしてくれたことがうれしかったです。5回に久しぶりに(2016年10月4日以来)ヒットを打つことができましたが、それも二の次、三の次。ソフトバンクも含めてああいう舞台を作ってくれたことに感謝しています。
10年間にわたって背中を押してくれたファンの声援には込み上げてくるものがありました。12球団で一番のファンだと思いますし、いいときも悪いときも熱い声援を送ってくれ、叱咤激励もしてくれた。ファンとともに同じ10年を歩んできたのかなと思います。
引退を決断したのは、純粋に戦力になれていないと感じたからです。ヒットも打っていませんでしたし、2軍で過ごす期間が長くなっていく中で1軍の戦力になれていないということを強く感じるようになっていきました。ヒットが打てない期間というのは悔しさでいっぱいでしたね。毎日のようにヒットを打つ夢を見る日々。いい当たりでも捕られてしまえばアウトですし、悪い当たりであっても「H」がつけばヒット。そういう世界ですから。
最後までホームランも打つことができませんでしたが、それも同じ。ヒットの延長がホームランだし、僕のようなタイプがホームランを狙っていたら、2、3年でクビになっていたでしょう。まずは塁に出ること。そして、ホームにかえってくること。そのことに尽きると思います。
攻めの守りでなければ捕れるものも捕れない
育成契約でプロ入りも、チームに不可欠な存在として最後は引退セレモニーが用意されるまでに。その活躍を支えたのは卓越した守備力だった 【写真:BBM】
守備へのアプローチは大切にしていました。プロに入り、より守備の大切さを教えてくれたのが入団時に2軍外野守備・走塁コーチだった代田建紀さんです。バッティングはどうしても水物の部分がある。でも守備と足にスランプはない。「守備と足を極めれば1軍の戦力になれるぞ」という言葉を掛けてくれたのは、僕にとってそれが1軍への一番の近道だと思ってくれたからでしょう。毎日毎日、遅くまで練習に付き合ってくださいました。
僕にとっての守備は“状況判断”が全てです。センターだったらレフトやライトとのコミュニケーションから始まり、ZOZOマリンスタジアムのような屋外球場なら風、投手は誰か、相手打者は誰か、点差は、イニングは……。そうしたものを全て頭に入れた上で、ピッチャーがモーションに入った瞬間からリズムを作っていく。その時点から打球に追いつけるか追いつけないかの勝負は始まっています。だから守備練習は、野手のフリー打撃のボールを捕る打球キャッチを数多くやりましたね。
一つでも相手の進塁を阻むという意味では送球も工夫していました。決して肩が強いわけではないので、しっかり捕ってすぐに送球する。捕ってから投げるまでの速さを追求していました。二塁ランナーをホームに返してしまうのが外野手にとっては一番悔しい。そこを何とか相手の三塁コーチが止めるような守備を心掛けていました。
野球には攻撃があって守備がある。守備は間違いなく必要なものです。ただ、守備というのは“守ってはいけない”。攻めの気持ちを持って守らないと捕れるものも捕れない。「捕れないだろうからヒットでいいや」は状況判断ではありませんし、何よりもピッチャーに申し訳ない。攻めの守備をして捕り切れなかったのか、最初からあきらめていたのかはピッチャーにも伝わると思います。
2011年の巨人戦(6月15日、東京ドーム、3対2でロッテが逆転勝利)での守備についてはよく聞かれました。ただ、「あのプレーはどうでしたか」と言われると少し困ってしまいます。2回、5回、8回と3度、外野の間を抜けそうな打球を捕ることができましたが、狙ってできるプレーではありません。普段から心掛けてきた守備へのアプローチの結果として捕れただけです。
それでも、守備で攻める気持ちがあったから捕れたと思いますし、そのプレーによって試合の流れがロッテに傾き、勝ちにつながったのならうれしいですね。とにかく勝つために野球をやっていましたし、攻めてミスをするのがOKというわけではないですが、攻めないでミスをしてしまうのは罪だと思いますから。
いつからか僕が守るポジションをファンの方たちが“エリア66”と呼んでくれるようになりました。育成時代は132番で、その半分の66番も球団からいただいた番号です。その66番が自分の代名詞のようになるなんて最初は想像もしていませんでした。いいですよね、“エリア66”って(笑)。自分でも気に入っていましたし、そう呼んでくれたファンの方たちには本当に感謝です。