ロッテ・岡田が現役生活を振り返る 育成から攻めて築いた「エリア66」

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来季からは指導者の道へ

2011年6月15日、東京ドームでの巨人戦では2回、5回、8回と語り草になっている3度のスーパーキャッチを披露 【写真:BBM】

 プロへの道を一度は諦め、そこから懸命にはい上がり、育成選手としてプロの世界に飛び込んだ。すぐに支配下契約を勝ち取ると、11年には育成出身選手として初の規定打席到達&全試合出場。育まれた反骨心とがむしゃらさが、岡田の成長を大きく後押しした。

 初めて1軍の試合に出場したときのことはよく覚えています。2010年の6月1日、千葉マリンでの巨人戦。守備での途中出場でした。翌2日の同戦で初めてスタメン出場を告げられたときは、うれしさや緊張と同時に、「やってやるぞ」「見返してやるぞ」という気持ちになりましたね。育成で入って、厳しい環境からスタートしていましたから。

 その年は日本シリーズで日本一を決める決勝打を打つことができ、翌11年は全試合出場を果たすことができました。無我夢中、がむしゃらな日々でした。この世界でお金を稼いでいかなければならない、1年でも長くこの世界でやっていきたい――。

 そこまで前向きに、それでいて反骨心を持って取り組めたのは、プロに入るまでに回り道をしたからかもしれません。プロを目指して作新学院から日大に進学しましたが、左ヒジのケガもあって野球ができない日々が続き、野球部だけでなく大学もやめることになりました。そのとき、「ああ、もうプロは無理なんだな」という思いにとらわれました。

 そこからまた前を向くことができたのは周囲の方たちが手を差し伸べてくれたからです。プロのスカウトとも面識のある方たちが「いろいろなスカウトがおまえのことを追っている。諦めないで頑張れ」と声を掛けてくれました。最初は地元・栃木のクラブチーム、そして全足利クラブとプレーする環境をいただき、またプロへの気持ちが少しずつ芽生えていきました。

来年からはロッテのスタッフとして第二の人生を歩む 【写真:BBM】

 ロッテの入団テストに誘われたのは07年の秋です。あとから分かったのですが、その入団テストは育成選手としてでした。翌年には24歳になる。とにかく育成でもいいから、プロの世界に飛び込めばチャンスがある。育成ドラフトで指名を受けたときは結婚もしていたし、娘も生まれていました。でも、やる気と自信しかなかった。

 何のプライドもないし、ダメだったらしょうがないけど、「絶対にはい上がってやる」という強い気持ちだけはある。今思えば、何の根拠もない自信だったかもしれません。僕がそういう性格だということなのでしょう(笑)。

 09年に入団してすぐに支配下契約していただき、翌10年途中から少しずつ1軍の試合に出場できるようになっていったのはお話ししたとおりです。当時は怖いモノなんてなくて、すごく勢いがあったと思います。思うように体も動きましたし、何をやっても疲れない。若いってすごいなと思いますね(笑)。

 そういう意味では今年になり、「これが衰えなのかな」と感じる瞬間が増えていきました。外野守備でも一歩目のスタートは間違っていないはずなのに追いつけない。守備も攻めだと言いましたが、「攻めて後ろにそらしたらどうしよう」という変な気持ちも芽生えてしまいました。そうしたことも、引退の決断につながっていったのかもしれません。

 選手としては一区切りですが、来年はロッテのスタッフとして、BCリーグの栃木ゴールデンブレーブスにコーチ派遣していただくことになりました。育成でプロの世界に飛び込んでからの10年間で経験したもの、自分が持っているものを、今度は選手たちに伝えられるように、一生懸命教えていきたいと思います。そして、いつかロッテに戻ってピンストライプのユニフォームを着たいですし、若い選手を育てて球団に恩返しがしたい。まだまだ夢は大きく、たくさんありますね。

取材・構成=杉浦多夢、写真=桜井ひとし(インタビュー)、榎本郁也、BBM

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