メルボルンVで鮮烈デビューの本田圭佑 新たな役割で描く、東京五輪へのシナリオ

元川悦子

右インサイドハーフでの先発出場

「新しいポジションで新しいチャレンジになる」と語っていた本田だが、ゴールを挙げての鮮烈デビューとなった 【Getty Images】

「新しいポジションで新しいチャレンジになる。今まで通り結果で……、結果というのは今までの得点とかとは違う形になるかもしれないですけれど、とにかく結果で答えを出していきたいと思ってます」

 2018−19オーストラリアAリーグ開幕のメルボルン・シティ戦を2日後に控えた18日、メルボルン・ビクトリー(V)に新天地を求めた本田圭佑は記者会見でこう宣言した。「新しいポジションとはボランチなのか?」という問いには「それは試合を見てもらえば分かると思います」とだけ回答したが、日本代表で長年担ってきた右サイドやトップ下などアタッカー的な役割でないことは明白だった。

 迎えた20日の試合当日夜。2年前の10月に18年ロシアワールドカップ(W杯)アジア最終予選の大一番・オーストラリア戦の会場でもあったマーベル・スタジアム(当時はドックランズ・スタジアム)に、キャプテンマークを巻いた背番号4が登場すると、メルボルンダービーの開幕戦を待ちわびる4万人の大観衆が一気にヒートアップした。年俸制限を受けない「マーキープレーヤー」枠で、クラブやオーストラリア協会などが推定3〜4億円とされる高額年俸を投じて鳴り物入りで加わった男の一挙手一投足に注目が集まった。

 本田が語っていた新ポジションとは、ボランチではなく、4−3−2−1のインサイドハーフとも、ダイヤモンド型の4−4−2の右サイドともいえる位置。本来中盤をコントロールする元オーストラリア代表MFカール・ヴァレリがコンディション不良で控えに回ったこともあり、アンカーにスペイン人のラウル・バエナが陣取り、右インサイドハーフに本田、左インサイドハーフにテリー・アントニスが並んだ。トップ下には背番号10をつけるオーストラリア代表ジェームス・トロイージが入る。この中盤のバランスが勝負の明暗を分ける重要ポイントと見られた。本田がどう前線2トップを生かしつつ、自らも生きるのか。そして守備面でどう貢献していくのか。そこも見逃せない部分だった。

本田のスターたるゆえん

絶妙なポジション取りから、ヘディングシュートを突き刺しての先制ゴールとなった 【Getty Images】

 序盤はボールが落ち着かない展開だったが、徐々に昨季リーグ覇者のメルボルンVが主導権を握り始める。本田は基本的に中に絞りつつ外のスペースに出ていくなど臨機応変な動きを見せる。ただ、シーズン初戦で連係面が確立されていないせいか、中盤の距離感が遠く、ボールが回ってくる場面が目に見えて少ない。本人も新たな役割に微妙な戸惑いをのぞかせていた。

 その停滞感を一瞬にして払拭できるのが、背番号4のスターたるゆえんかもしれない。その象徴が前半28分の先制点だろう。右に開いた位置で背後から縦パスを受けた本田はドリブルで持ち上がり、FWコスタ・バルバルセスにパス。彼とアントニスがパス交換する間にスルスルとゴール前へ上がった。次の瞬間、右サイドを駆け上がったDFストーム・ルーにボールが渡り、ゴール前にクロスが蹴り込まれる。そこでフリーになっていたのが本田。彼は絶妙なポジション取りでヘッドで突き刺し、新天地デビュー戦ゴールという離れ業をやってのけた。

 これで一気に流れがメルボルンVに傾いたが、前半終了間際のVAR判定によるPK献上によって同点に追いつかれてしまう。「結果にコミットする」と強調していた本田にしてみれば、残り45分間で相手を突き放すだけの影響力とけん引力を示さなければならなかった。その自覚の表れなのか、後半の守備意識向上は目覚ましかった。開始直後に逆サイドまで走って相手からボールを奪ったのを手始めに、激しいデュエルを随所に見せる。「自分の守備がよくなったというより、向こうが落ちた感じかな」と本田は試合後に打ち明けたが、守りのハードワークが求められる中盤の仕事をモノにしようという貪欲さを感じさせたのは間違いない。

 加えて、得点機をお膳立てするシーンも増えた。後半13分には右を走るバルバルセスにスルーパスを出してフリーにし、18分にはトロイージへのパス出しから左ポスト強襲の決定機を演出。「ケイスケは自身のゴールだけでなく、いくつものチャンスを作り、チームに大きな影響を与えた。本当に際立っていた」とケビン・マスカット監督も称賛した通り、技術と戦術眼の高さは群を抜いていた。中盤の関係も時間を追うごとによくなった。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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