メルボルンVで鮮烈デビューの本田圭佑 新たな役割で描く、東京五輪へのシナリオ

元川悦子

本田「新しいことにトライしていきたい」

ゴール発進もチームは1−2で敗戦。本田は「勝てなかった残念さの方が大きい」と試合後に振り返った 【Getty Images】

 だからこそ、絶対にチームを勝利へと導きたかったはず。だが、皮肉なことに後半25分に自らがマークしていた途中出場のMFに走られて逆転弾を決められる。スルーパスを出された味方の寄せが甘く、カバーリングに行くべき選手も棒立ちになっていたが、やはり失点ショックは大きかったのだろう。結果的にメルボルンVは1−2で苦杯を喫し、本田自身もミックスゾーンを素通りした。

 それでも、筆者が選手出口で待ち構えて直撃すると「もちろん残念です。得点が取れたうれしさよりも、勝てなかった残念さの方が正直、大きいです」と悔しさをにじませた。インサイドハーフという新たなポジションに関しても「これをベースにして、ここからそのスタンダードを上げていけたらなと。まだまだよくなると思うので、攻守において1つ1つもっと細かいところにこだわらないと。『攻撃の時に点取ったらいい』っていうザックリなプレースタイルではいけないと思うし、緻密さみたいなものがたぶん今のポジションでは求められている。今までとは全く違うスタイルなので、新しいことにトライしていきたいなと思います」と本田は手ごたえと課題の両方を感じた様子。5カ国目の海外キャリアのスタートは複雑な感情が入り混じるものとなったようだ。

 この90分間を見る限りだと、7月2日のベルギー戦以来、3か月半ぶりの公式戦とは思えないほどコンディション的にはよかった。時間を追うごとに運動量が増えていき、攻守両面での影響力も高まった。そしてゴールという結果も出した。本人は冒頭の通り「これまでのようにゴールという結果ではないかもしれないが結果を出したい」と違った意味での貢献を考えていたが、やはり取るべきところでは取る。それがW杯3大会連続4得点の偉業を果たした勝負強さを持つ男の底力なのだ。

東京五輪出場へ向けたシナリオ

2年後の東京五輪を視野に入れると、中盤での新たな役割をメルボルンVで高めていくことが求められる 【Getty Images】

 本田が現役続行を決意したのは、20年東京五輪にオーバーエージ枠で出場するため。森保一監督率いる日本代表やU−21日本代表の現状を踏まえると、アタッカーには堂安律を筆頭にタレントがひしめくものの、ボランチはやや選手層が薄い。そこに着目し、ポジションを1つ下げて勝負しようとしているのだろう。今回のメルボルンダービーでは純粋なボランチとは異なる役割を担ったが、今後はもう1つ低い位置に入る可能性もゼロではない。コンディション不良で欠場したヴァレリとのボランチコンビが試される時もいずれ来るだろう。

 そこで本田に求められるのは、第一にオフ・ザ・ボール部分の精度を上げること。よりハードワークして球際を激しくいき、ボール奪取力を高めることは必須のテーマ。本人も「このポジションはそういうところ(守備面)が大事だし、もっとコンディションを上げていきたいと思います」と走力や運動量の部分でレベルアップを考えている。その上で持ち前の攻撃センスを発揮することが肝要だ。司令塔としての働きは今回負傷欠場したスウェーデン代表FWオラ・トイボネンが復帰してくれば、確実に磨きがかかるはず。その上で自身のゴールも加われば、まさに理想的なシナリオといっていい。実際、この日の先制点のようなプレーは青山敏弘にも柴崎岳にもできない。遠藤航には可能かもしれないが、もともと守備的な遠藤と点取屋としてはい上がってきた本田はバックグラウンドが異なる。そこを森保監督がどのように評価するかは、非常に興味深いものがある。

 いずれにしても、本田がメルボルンVで頭抜けた存在感を示したのは間違いない。マスカット監督も「彼は卓越している」という発言を連発し、GKトーマス・ローレンスやアントニスも「今日の試合を見ても分かる通り、彼はボールをコントロールできるしチャンスも作れる。実際にゴールも奪った。チームに与える影響力は絶大だ」と能力の高さを認めている。それだけの信頼をスタートから勝ち取れたのは大きいし、今後は本田が一層プレーしやすい環境になっていくだろう。そういう中で2年後の東京五輪を視野に入れつつ、「アタッカーではなく、中盤としての自分」を研ぎ澄ませていけるか否か。そこに大きな夢の実現がかかってくる。

 長年の盟友・長友佑都も「30超えたらおじさんと言われて、アスリートとしてコンディションが落ちるんじゃないかとみんなに言われますけれど、実際に30超えて、35を超えて、キャリアのピークを迎えた選手を僕は間近で見てきた。僕もそういう選手になりたいな。まだまだこれからだと思います」と語気を強めていたが、本田も全く同じことを考えているはず。不可能を可能にすべく、32歳のチャレンジャーはさらなる高みを目指し続けていく。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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