ロッテ・福浦 2000安打インタビュー「声援が僕の体を動かしてくれた」

週刊ベースボールONLINE

プロ25年目にしてついに2000安打の大台に到達した福浦和也 【写真:BBM】

 1993年秋のドラフトで7位指名を受けてから25年。幕張で誰よりも愛され、マリーンズとともに歩んできた福浦和也が、ついに2000安打の大台に到達した。だが、まだ終わらない。42歳にして達成した史上52人目の偉業も通過点。さらなる夢に向け、歩みを進める。

2000本目が一番心に残る安打

 通算2234試合目、7951打席目の一打だった。1999安打を積み重ねて迎えた9月22日、ZOZOマリンでの西武戦。「6番・指名打者」でスタメンに名を連ねた福浦は、8回の第4打席に小川龍也のスライダーをとらえると、打球は右翼の右に弾んだ。笑顔を浮かべながら二塁へ滑り込むと、塁上で両手を掲げて大観衆の声援に応える。史上52人目の2000安打達成。42歳9カ月での到達は史上2番目の年長記録であり、球団としては榎本喜八、有藤通世という2人のレジェンドに続く3人目の偉業だった。

──2000本目の安打は右翼に弾き返す“らしい”一打でした。

 たまたま拾えたかなという感じですね。ヒットになってよかったなというのが一番です。

──最後は笑顔で二塁に滑り込み、普段はあまり見せないガッツポーズも飛び出しました。

 笑顔はホッとした気持ちからでしょうね。ガッツポーズも無意識です。相当うれしかったんでしょう。場面も場面でしたしね。同点(2ー2)の8回にノーアウトから二塁打を打てたということもうれしかったですから。

──残り4本として、9月15日の楽天戦からZOZOマリンでの8連戦に突入しました。

 やっぱりマリンで決めたかったというのはありますね。井口(資仁)監督も「マリンで」と言われていたので。20日の西武戦が雨で中止になって残り2試合で2本になったときは、僕の中でもちょっとした焦りはありました。1試合でマルチとか猛打賞とかが打てればもっと簡単に決められたんですけど、そう甘くはなかったです。

──マリンの大観衆の前で決めることができました。

 うれしいですね。1000本目はマリンだったんですけど、1500本目はヤフオク(当時福岡Yahoo! JAPANドーム)でしたから、やっぱり2000本目はここで決めたいという思いがありました。あれだけのお客さんが見に来てくれて、球団もバックネット裏やスクリーンに「FUKU−METER」を出してくれたり、期待は感じていましたから。千葉のファンの前で打つことができて、喜んでもらえてよかったなと思います。

──2000安打の中で一番思い出に残る安打は、やはりこの2000本目だとおっしゃっていました。

 そうですね。初安打もうれしかったですけど、今回は期待に応えたというか。(同級生の)松井稼頭央(西武)も花束を準備してずっと待ってくれていたみたいだし、岡田(幸文)や根元(俊一)、金澤(岳)、荻野貴司、ファームのトレーナーの望月さん(一、理学療法士)など、みんなが見に来てくれていましたから。超満員のマリンの中で打ちたいと思いながら、最初の3打席は打つことができなかったので(笑)。最後の最後に1本を打つことができたのでホッとしたというか、少し解放された気持ちになりました。

2000安打への葛藤と感じ続けた“1本の重み”

ZOZOマリンに詰めかけた大観衆の前で鮮やかに2000安打となる右越えの二塁打を放った 【写真:BBM】

 2001年には打率.346で首位打者に輝き、6年連続で打率3割をマークした“幕張の安打製造機”も、近年はケガもあって少しずつ出番を減らし、チームの中での役割も変化していった。それでも、2000安打という金字塔に対する周囲の期待に応えるべく、福浦は2018年シーズンに臨んでいた。

──今季は2000安打まで残り38本からスタートしました。

 普通に調子が良ければもっと早く達成しなければいけなかったと思いますけど、この数年は簡単には打てないという現実がありました。“1本の重み”じゃないですけど、この4、5年は代打や、たまにスタメンで出ても結果が出たり出なかったりでしたから。

──「正直2000本は難しいかなと思う時期もあった」という言葉もありましたが、そこをつなぎ止めていたものは何だったのでしょうか。

 この4、5年はずっとそう思いながらプレーしていましたが、やっぱり現役を続けさせてもらったということですね。球団には感謝していますし、何より打席に立つたびにお客さんが大きな声援を送ってくれる。そのためにも結果を残さなければいけないという気持ちで毎試合、臨んでいました。現役でいる以上は一軍でしっかり結果を残したいという思いは変わらない。ただユニフォームを着ているだけでは意味がないですから。

──そうした葛藤の中で、また2000安打を意識できるようになったのはいつ頃だったのでしょうか。

 やっぱり今年じゃないですかね。これが68本からのスタートだったら「厳しいかな」と思ってしまっていたかもしれません。昨季が30本で、その前年は20本しか打てていないですから。残り38本からだったので、何とかまたチャンスをもらえたというか。

──開幕スタメンに名を連ねるなど、順調なスタートでした。

 角中(勝也)がケガをしたということもあって開幕スタメンというチャンスに恵まれて。最初はポンポンと出ましたけど(3、4月で13安打)、すぐに体力のなさというものを感じました。

──フィジカルの問題もあって5月半ばに一軍登録を外れました。

 あの時期は体重が減ってしまいました。自分ではやせないように意識していたのに、それでも体重が落ちてしまった。2000安打へのプレッシャーや焦りはなかったと思っているのですが、自分の体の中では何かがあったのかもしれません。思うように力が入らなくなったり、バットが振れなくなったり。今思えば、それが焦りやプレッシャーだったのかもしれないですね。

──夏場になってから少しずつ持ち直していきました。

 まずは体重を戻しました。トレーニングや食事、プロテインもしっかり摂取して、徐々に体重が戻るにつれて、また力の入り方なども変わっていきましたね。

──7月からまたカウントダウンが進み始めます。

 途中で「(2000安打は)怪しいかな」と思っていたのですが、またポンポンと出たので、残り2ケタを切ったくらいから、「あれ、もしかして」という感じが出てきました。

──井口監督の起用法も含めて、周囲の支えは大きかったと思います。

 いや、ほぼそれしかないですね。気持ちが折れてしまったらここまで来られなかったでしょうし、そういう気持ちにさせてもらえましたから。最後も体は万全ではなかったですが、お客さんの声援や、監督・コーチを含めたみんなの支えがあったからだと思います。

──その中で9月9日の西武戦(メットライフ)では今井達也投手から3年5カ月ぶりの本塁打を打ちました。

 あれはもう、マグレです(笑)。バッティング練習ではまだホームランも打てますけど、なかなかゲームではね。だから、「あ、行っちゃった」という感じで。バッティング練習のように振って、バッティング練習のようにホームランになった。ホームランのときは感触もないっていう、まさにそんな感覚で。僕らしくないホームランですね(笑)。

──敵地だったとはいえ、久々にダイヤモンドを一周する感覚はどうでしたか。

 久々過ぎて、一周するのも緊張しましたけど(笑)。どれくらいのスピードで走っていいのか分からなかったですね。もうちょっと速く走ったほうがいいのかなとか、いろいろ考えながら(笑)。

──走るペースは思い出すことができましたか(笑)。

 いやいや、全然思い出せないです(笑)。

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