【追悼】バウマン事務総長からの贈り物 FIBAのトップが示してくれた「信頼の証」
「これから」というタイミングでの悲報
FIBA事務総長を務めるパトリック・バウマン氏が14日、享年51で急逝した 【写真:アフロスポーツ】
FIBAの本部はスイスにあるが、バウマン事務総長もスイス国籍。バスケの審判、弁護士としてのキャリアを持ち、5カ国語を駆使する切れ者だった。2003年1月にボリスラヴ・スタンコビッチ氏から事務総長を引き継ぎ、国際オリンピック委員会(IOC)の委員も務めていた。その手腕と若さから、将来のIOC会長候補としても名前が挙がっていた。
日本バスケ改革のレールを敷いた14年
彼は同年の12月18日に来日し、東京都内で会見を行った。筆者にとって彼を目の当たりにするのは初めてで、予備知識はメディアを介して報道されていた発言しかなかった。「外圧」「強権」を振りかざす人物を想定していた私の目の前に現れたのは、童顔で温厚で上品なユーモアを持つ紳士だった。
100人以上は集まっていたメディアに対して彼は「バスケに興味を持っていただいていることを感じて、とてもうれしく思っている」と切り出した。そして上から目線のダメ出しを予期したわれわれの思惑とは逆に、彼は日本バスケに対する思いやりを感じるコメントを残していく。特に制裁の狙いについては「罰を与えることが目的ではなく、希望を作る機会としてこういう決断をした」と強調していた。
彼は問題解決の組織として一時的に設置される「タスクフォース」の構想をこう説明していた。
「多くとも10人以下。最初の会議は1月末をメドにしている。バスケットボールの長期的なビジョン、目標を作っていくことがタスクフォースの目標になる」
翌年1月にタスクフォースの共同議長に就任したのが川淵三郎元日本サッカー協会会長と、ドイツバスケットボール連盟会長のインゴ・ヴァイス氏で、主役はもちろん川淵氏だった。とはいえ、そこに至る最初のレールを敷いたのがバウマン事務総長だった。