川島永嗣の恩師が語るGKの神髄<最終回> ブッフォンとの出会いと育て方について
16歳の時にはGKとしてほぼ完成されていた
長きにわたってイタリア代表のゴールマウスを守り続けたブッフォン 【写真:ロイター/アフロ】
ブッフォンは、毎週の試合での自分のプレーを、ほとんど全て記憶している。こちらから指摘しなくても、自分からあの時のこのプレーはどうだったか、と聞いてくることも少なくなかった。彼は、自分が間違っている時にはそれを率直に認める度量を持っているし、相手の話に耳を傾けてそれを取り入れる向上心も非常に強く持っている。こうした性格的側面も、高い学習能力を支えていたことは間違いない。だから、パルマにやってきた13歳の時には、技術・戦術面ではほとんど白紙に近い状態だったが、それからの3年で、普通の子供なら習得に5、6年、いやもっとかかるだけの能力を身に付けてしまった。事実、パルマに来て4年目、16歳の年には、GKとしてもうほとんど完成の域に近づいていたと言ってもいいだろう。
私は育成部門の全GKを見ていたので、上は18、19歳から下は11、12歳まで、毎日5、6人のGKを集めて練習するのが常だった。もちろん全員同じメニューを課すわけではなく、年齢によってグループ分けして、それぞれに必要なエクササイズをやらせる。その時に、私が見習うべき手本として見せるのは、必ずブッフォンのプレーだった。年下の子たちに教える時はもちろん、年上のGKたちにも、ブッフォンのプレーをまねさせた。16歳のブッフォンは、すでにその位レベルアップしていたからだ。私は年上のGKたちに、こう言って聞かせたものだ。「ジジがどうやるかよく見てろよ。こいつは20歳の時にはセリエAはもちろん、イタリア代表でもプレーしているに違いないんだから」。
私が今でも忘れられないのは、それを聞いたブッフォンの返事だった。彼はこう言ったのだ。「えーミステル、俺20歳まで待たなきゃダメなんですか?」。私は笑いながらこう返すしかなかった。「心配するなジジ。来年はもうトップチームでデビューしているさ」。このパーソナリティーの強さに支えられた深い自信は、GKとして最大の資産の1つだ。
ブッフォンを送り出したことは「最大の幸運」
40歳となった今季はPSGへ移籍。初めて慣れ親しんだイタリアを離れてプレーすることになった 【写真:Maurizio Borsari/アフロ】
しかし私は、そのシーズンが始まる時点ですでに、ブッフォンはブッチを超えたという確信を持っていた。それを得たのは、開幕を前にしたトップチームの紅白戦でプレーする姿を見た時だ。私は、その年からトップチームのスポーツディレクターに昇格していたラリーニ、そして地元の新聞記者と3人で試合を見ていたのだが、2人にこう言ったのを覚えている。「もうあの子はセリエAで立派に通用するレベルにある。完成品だ。私にこれ以上教えることは何もない。今必要なのは、トップチームの試合に出て経験を積んでいくことだけだ」。
だがラリーニの返事はこうだった。「そう言い切るのは早い。まだジジは若過ぎる。17歳の子供じゃないか。ブッチが聞いたら腹を立てるぞ」。私はこう言い返した。「まだ早いと言ってるうちは、何のリスクも負わずにいられるかもしれない。もう準備OKだと言って、使ってみたらダメだったということになると、顔が立たないからね。でも私は、4年間あの子を見てきて、もう今でも絶対にセリエAで通用するという確信を持っている。ここで使ってやらなければ、成長を妨げることになる。今こそわれわれがリスクを取るべき時だ」。
そして実際、ブッチの代役としてデビュー戦のピッチに立ったブッフォンは、まるで10年前からセリエAでプレーしているような堂々たる態度でゴールを守り、ミランを0点に抑えたのだった。教えた通りの鋭い飛び出しで、DFラインの裏に抜けてパスを受けたジョージ・ウェアに詰め、そのボールをかっさらった時には、私も思わず背筋がぞくっとしたものだ。
そのシーズンは、ブッチがけがから復帰すると控えに戻ったため、出場は9試合に終わったが、続く96ー97シーズンには、新監督カルロ・アンチェロッティの下でシーズン序盤にレギュラーの座をつかむことになる。そしてその翌年、ロシアとのワールドカップ予選プレーオフという難しい舞台で代表デビューを果たし、素晴らしいパフォーマンスを見せたのは19歳の時だった。ブッフォンと出会って1カ月目に彼のお父さんに私が語った予言は、すべて実現したというわけだ。
早いもので、ミランとのデビュー戦からもう20年以上が過ぎた。トップチームに送り出して以降、コーチと選手というピッチ上の付き合いは終わってしまったが、その後も連絡を取り合って試合でのプレーについて語り合ったり、アドバイスを求められたりという形で、私とブッフォンの関係は続いている。彼を見いだし、育て、世に送り出すことができたというのは、GKコーチとして私が得た最大の幸運であり、また喜びでもあった。本当に現役最後となるであろう今シーズンも、彼のプレーを見守っていきたい。