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後藤と加賀、十分に戦い抜いた現役生活
ベイスターズを支えた2人の引き際
西武、DeNAと合計16年の現役生活に終止符を打つ後藤
西武、DeNAと合計16年の現役生活に終止符を打つ後藤【(C)YDB】

 9月14日13時ちょうど、横浜DeNAの球団事務所に設けられた記者会見場に、スーツに身を包んだ2人のプロ野球選手が姿を現した。


 33歳の右腕投手・加賀繁は「悔いは多少なりとも残ってはいますけど、少しホッとした気持ち」と、低い声を絞り出すように語った。


 38歳の強打者、G後藤武敏は終始緊張した面持ち。時折言葉につかえながらも「今年ダメだったら引退しようという覚悟で臨んだ1年。スッキリしている」と言い切った。


 この日、加賀は9年、後藤は埼玉西武での9年を含めて計16年にわたったプロ生活に、自ら句点を打った。

11年オフ、横浜に“出戻り”

 西武にいた後藤が武山真吾(現中日)との交換トレードにより移籍することが発表されたのは、2011年11月22日のことだった。「出戻りだ」と告げられた瞬間に行く先を悟り、高校時代を過ごした横浜での再スタートに希望の灯を見出した。


 奇しくもトレード発表の翌日、同じく松坂世代に属する村田修一(当時横浜)がFA権の行使を宣言。その後、巨人に新天地を求めた。ともに今年限りでユニホームを脱ぐ決断をした2人はこの時、球歴を交錯させたのだ。


 後藤が振り返る。


「村田が出ていくことになったけど、少しでもその穴埋めができればなって」


 ちょうど球団の親会社がDeNAに変更したタイミングでもあった。後藤には主に代打という役割があてがわれた。


 試合の勝負どころで名前をコールされ、たった1打席で結果を残すことが求められる稼業。そんな仕事に向き合うようになって、まず浮かんだ顔があったという。


「西武にいた平尾(博嗣)さん。代打で、大舞台になればなるほど打つんですよ。こっちに来てからも、電話をかけたりしていろいろな話を聞きました。こういうピッチャーだったらどう打ちますか。どういう待ち方をしますか。ぼくにとっては平尾さんの存在はすごく大きかったですね」


 感覚を研ぎ澄ませ、打席を重ねて、やがて自分なりの方法論を確立した。


「ぼくは、たとえば変化球を待っていてストレートで見逃しのストライクを取られるとすごく悔しくなっちゃうタイプ。だからヤマは張れないんです。とにかく真っすぐに差しこまれないことを第一にして、そこに変化球が来たらタイミングが合えば打ちにいく。まず真っすぐを狙っていくという意味でも、打席で立ち遅れないこと、気後れしないことを何よりも大事にしていました」

悔しさは少しずつ少しずつ薄れ…

「悔しさがなくなったら終わり」と語っていた後藤の気持ちから悔しさが少しずつ薄れていった
「悔しさがなくなったら終わり」と語っていた後藤の気持ちから悔しさが少しずつ薄れていった【(C)YDB】

 代打の鉄則とも言うべき積極姿勢で打席に向かい続けた後藤は、勝負が懸かる重要な場面で値千金の一打をたびたび放つ。印象深いのは昨年8月24日の広島戦、同点の9回裏2アウト走者なしで迎えた打席だ。


 中崎翔太のストレートに力負けせず、打球は右翼席に向かって飛行した。だが、あとほんの数センチ、フェンスオーバーには届かない。続く倉本寿彦の内野安打で代走の高城俊人が二塁から生還し、3夜連続のサヨナラ勝ち。惜しくもヒーローになりそこねた後藤は後日、言った。


「まあ、ぼくらしいでしょ。ああいうところでギリギリで入らないから、もっともっと練習しようと思うんです」


 ベテランの域に達してなお向上心を失わなかった後藤に、尋ねたことがある。「こうなってしまったら終わり」のラインはどこにあるのですか、と。


 1年前の後藤はこう答えた。


「悔しさがなくなったら終わりだと思う」


 悔しさは成長の原動力だ。悔しさが心に満ちてこそ、明日もまたユニホームに袖を通し、体が悲鳴をあげるまでバットを振ろうと思える。「一日一日を悔いなく過ごそう」と誓った今シーズン、秋が近づくにつれ、後藤の心にあった悔しさは少しずつ、少しずつ薄れていった。


 15年に登録名を「後藤武敏G.」とし、以降、シーズンごとに「後藤G武敏」「G.後藤武敏」「G後藤武敏」と変えてきた。


「ユニホームの背中に(ニックネームである)GOMEZ(ゴメス)って書くなら『G』の文字を登録名に入れなきゃいけない。一歩ずつ進んでいくという意味を込めて、毎年、前に移動させたりドットを取ったりしてきたけど、いちばん前に『G』がきた今年はもう次の行き場がなかった。だから……ちょうど良かったんです」


 Gの重みから解放され「後藤武敏」に戻る男は、晴れ晴れとした表情で笑った。

日比野恭三
日比野恭三

1981年、宮崎県生まれ。2010年より『Number』編集部の所属となり、同誌の編集および執筆に従事。6年間の在籍を経て2016年、フリーに。野球やボクシングを中心とした各種競技、またスポーツビジネスを中心的なフィールドとして活動中。

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