デル・ピエロが長良川に来る理由 J2・J3漫遊記 FC岐阜<後編>

宇都宮徹壱

「サッカーとはまったく無縁」の社長による改革

15年に岐阜の社長に就任した宮田博之。就任すると社内の大胆な配置転換を敢行した 【宇都宮徹壱】

 現監督の大木が岐阜にもたらした変化については、前編で触れたとおりである。ここでは、花房の話にも出てきた現社長の宮田に着目したい。宮田は地元の岐阜出身で、早稲田大学卒業後、住友建設株式会社(現三井住友建設株式会社)、レオパレス21、そしてレオパレスリゾートグアムで社長や専務執行役員などを歴任。グアムでの仕事を終えて、そろそろ日本に帰ろうと思っていた矢先、故郷のとあるルートから「FC岐阜の社長をやってほしい」というオファーを受ける。おりしも前社長の恩田聖敬がALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し、15年での退任が決まっていたタイミングだった。

「岐阜にサッカークラブがあるのは、もちろん知っていました。でも私はサッカーとはまったく無縁の人生を送ってきましたから、最初は『向いていません』と断ったんです。ただし、クラブとしてはまだまだ経営状態が安泰ではないし、チームもなかなか結果が出ない。何とか会社を立て直してほしいということで、これまで会社再建の仕事を手がけてきた私に(社長就任の)話が来たんでしょうね」

 宮田は現在70歳。Jクラブの社長としてはかなり高い年齢だが、長年ビジネスで培ってきたマネジメント能力と本質を見極める眼力はクラブの現状に見事にマッチした。ホームゲームでのエンターテインメント性を重視して、運営にはこれまで以上の投資をする一方、県内42市町村のホームタウンデーを全試合で実施。ホームゲームは21試合あるので、1試合で2つの自治体がブースを出すことになるが、「岐阜サポーターはもちろん、アウェーのサポーターにも岐阜県内の市町村をPRすることができるし、自治体にも大変喜ばれている」(宮田)という仕組みを確立させた。一方、社内ではクラブ設立以来初めてとなる、大胆な配置転換を敢行。その意図について、宮田はこう説明する。

「着任してすぐに社員のヒアリングをしたんです。そうしたら、それぞれの部署で、ほとんど異動がないことに気づきました。中には8年くらい、ずっと同じ仕事をしている人もいる。でも、クラブにはさまざまな仕事があるわけで、もっといろいろ経験しないと人材が育っていかないですよ。いろいろ反対もありましたが、私も以前の仕事で人事担当役員をしていた経験がありましたから、そこはあえて(配置転換を)断行しました」

 今回の取材のアテンドを担当した広報の渡邊亮は、去年まで地域振興担当だった。配置転換の感想を問うと「今の仕事にはやりがいを感じていますし、他の部署の仕事も理解できるようになって、(会社として)より一体感が感じられるようになりましたね」という前向きな答えが返ってきた。ちなみにクラブは現在、SNSによる情報発信強化に取り組んでいるが、それは渡邊がジョブチェンジする前から必要性を感じていたことでもあった。大胆な配置転換の陰には、宮田のきめ細やかなヒアリングがあったことが窺える。

あのデル・ピエロがやって来る!

「岐阜全緑宣言」のポスター。デル・ピエロとギッフィーの奇跡の2ショットが実現した 【宇都宮徹壱】

 新たな社長を迎え、スタッフも増え、職場環境も少しずつ改善されつつある岐阜。チームは依然として厳しい戦いを強いられているものの、それぞれの部署で働くスタッフの表情が明るいのは好材料だ。運営に携わる花房も「次のホームゲームに向けて準備をするのは楽しい」と実感を込めて語る。そんな中、彼らが現在進めているのは「岐阜全緑宣言」キャンペーン。その第一弾となる9月23日(対東京ヴェルディ戦)でのゲストは、元イタリア代表のアレッサンドロ・デル・ピエロである。岐阜とデル・ピエロ。この突拍子もないカップリングは、なぜ成立したのだろう。花房に聞いた。

「ウチのユニホーム袖スポンサーが野田クレーンさんなのですが、キャプテン翼スタジアム垂井というフットサル場の事業主でもあるんです。それでウチのユニホーム左袖に翼くんのイラストが入ることになったのですが、『じゃあ、世界的なプレーヤーで翼くんをリスペクトしている人に喜んでいただけるようにプレゼントしてみようか』ということで白羽の矢が立ったのがデル・ピエロさんでした。岐阜のユニホームにお手紙を添えて送ったら、SNS等で反応していただいて大変驚きましたね」

 結果として、現役選手でないこと、そして親日家であることも決めてとなって、デル・ピエロは岐阜にやってくることになった。それにしても、最初に「デル・ピエロに手紙を出そう」と言い出したのは誰か? 私の疑問に対して、広報の渡邊は「ギッフィーです!」と笑う。そういえば岐阜駅で見つけた告知ポスターには、ギッフィーとデル・ピエロによる2ショットに《ともだちが、できました。》というコピーが書かれてあった。まるで川崎フロンターレのノリである。そのことを指摘すると、「川崎さんの運営は、すごく勉強させていただいていますね」と花房。そして「今は残念な成績ですが、それでもご来場いただいているお客様に対して、これからも精いっぱいのおもてなしをしようと思っています」と続ける。

 一方、社長の宮田も「スポーツですから勝ち負けはあります。負けても岐阜のホームゲームにまた行きたいと思っていただくことが大事」と、今後もエンターテインメント性を重視していくことを強調。9月23日のイベントについては、「40万人都市のど真ん中に世界一美しい川が流れている岐阜の素晴らしさを、ぜひデル・ピエロさんにも知っていただきたい」と期待を寄せる。今回はあくまで単発のイベントだが、これをきっかけに両者の間の新たな交流が生まれれば、さらに面白いことが起こるかもしれない。残留に向けた戦いと、デル・ピエロを呼んでしまう企画力。今季の岐阜は、まったくもって目が離せない。

<この稿、了。文中敬称略>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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