巨人正捕手争いに見える阿部慎之助の影 定まらない起用法と主力投手の“小林推し”

鷲田康

プロ野球史上79人目のノーヒットノーランを達成した山口俊(右から二人目)。その日、マスクを被っていたのは小林(左端)だった 【写真は共同】

「守りだけでポジションを取れるキャッチャーはいない」

 こう喝破(かっぱ)したのは捕手として野村ヤクルトの黄金時代を支えた古田敦也さんだった。

「結局は打つか打たないか。最後に監督がどっちを使うかを決めるのはバッティングなんです」

 打てて守れる捕手だった古田さんだから言える金言かもしれないが、今年の巨人の正捕手争いを見ていると、改めてこの言葉の真実味を痛感することになる。

山口の持ち味を引き出した捕手の存在

 7月27日の中日戦。6連敗中の巨人を救ったのは、移籍2年目の右腕・山口俊の快投だった。

 初回から中日打線の前に立ちはだかった山口がヒットを許さない。東京ドームが異様な雰囲気に包まれる中で7回の先頭打者・大島洋平に四球を許したのが、この日唯一の走者だった。最後は9回2死からその大島をファーストゴロに打ち取り、プロ野球史上79人目のノーヒットノーランを達成したのである。

「プロに入ってノーヒットノーラン、完全試合は夢だったので、その一つが達成できて良かったと思う」

 こう喜びを語った山口も、大記録を陰から支えたのが女房役の小林誠司だったことに異論はないだろう。

 この日の山口は序盤は伸びのある真っ直ぐを軸に力で中日打線をねじ伏せた。そうして中盤以降は決め球のフォークをカウント球にも使うなど、ガラッと組み立てに変化をつけたピッチングが際立ったのである。

「小林がしっかり長いイニングを考えてリードしてくれました」

 試合後にこう振り返ったように、小林とのコンビネーションが、快挙の背景にあった訳である。

 しかもこの小林とのバッテリーの実現には、ちょっとした舞台裏があったのである。

若手二人を起用の中の“小林推し”

 実は小林は6月29日から約1カ月に渡って先発マスクを被っていなかった。

 理由は直前の26日からマツダスタジアムで行われた広島戦での惨状だった。

 この3連戦で巨人投手陣は赤ヘル打線の餌食となって合わせて26失点と大炎上。単に投手陣の乱調だけでなく、小林のリードを“戦犯”として指摘する声が流れたのだ。

 そんな悪い流れを断ち切るために、高橋由伸監督が打った手が、次の中日3連戦からドラフト3位ルーキーの大城卓三と3年目の宇佐見真吾にマスクを被らせることだった。

 結果的にこの3連戦を2勝1敗で勝ち越し、しかも宇佐見が先発した第3戦では初登板となったテイラー・ヤングマンが8回を3安打無失点と好投するオマケもあった。この流れを受けて若手二人を併用する起用が続くことになると、7月6日からの広島3連戦に2勝1敗と勝ち越し、球宴を挟んで7連勝のビッグウエーブがきた訳である。

 そうして小林は先発マスクを被るきっかけを失った。ただ、その中であくまで“小林推し”を見せたのが山口とエースの菅野智之の両投手だったのだという。

 7月20日からのマツダスタジアムでの広島3連戦。その直前に山口と菅野が「小林と組みたい」と首脳陣に“直訴”したのである。

 正確に言うと首脳陣から逆に、二人に誰と組みたいかの確認があった。それに対して、二人が小林を指名したということだった。もちろん投手陣の柱である二人の中には若手の育成という意識もある。普通ならあまり個人名は出さないところで、あえて小林という名前を口にした。

 異例といえば異例の出来事ではあった。

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著者プロフィール

1957年埼玉県生まれ。慶應義塾大学卒業後、報知新聞社入社。91年オフから巨人キャップとして93年の長嶋監督復帰、松井秀喜の入団などを取材。2003年に独立。日米を問わず野球の面白さを現場から伝え続け、雑誌、新聞で活躍。著書に『ホームラン術』『松井秀喜の言葉』『10・8 巨人VS.中日 史上最高の決戦』『長嶋茂雄 最後の日。1974.10.14』などがある。

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