異色の経歴を持つチェルシーの新監督 9部から出世した戦術オタクの元銀行員

片野道郎

基本は守備よりも攻撃に軸足を置いたスタイル

サッリのチームは緻密に設計されたいくつかのプレー原則をチーム全員が遂行する 【写真:ロイター/アフロ】

 サッリのサッカーは、攻撃と守備、いずれの局面においても、緻密に設計されたいくつかのプレー原則をチーム全員が遂行することによって、組織的な秩序と連係を高いレベルで実現している点に特徴がある。個々のプレーヤーに自由を与えることで持ち味を引き出すのではなく、その持ち味を生かせる役割を与えることにより、組織の中で機能させるというアプローチだ。

 最も基本的なコンセプトは、ボール支配によって主導権を握って戦い、奪われたボールはできる限り速やかに奪回する、というもの。守備よりも攻撃に軸足を置いたスタイルである。

 その攻撃は、最終ラインからショートパスをつないでのビルドアップが基本。ワンタッチ、ツータッチでリズミカルに、横ではなく前後(あるいは斜め)方向のパス交換を繰り返すことで守備陣形にズレを作り出し、敵中盤ラインの背後にいるアタッカーにボールを送り込む。ナポリ就任1年目の15−16シーズンは、センターFW(CF)にセリエA屈指の得点力を誇るゴンサロ・イグアインを擁していたため、攻撃の最終局面はもっぱらイグアインにボールを集めてフィニッシュの形を作るために設計されていた。

 一方、守備の局面は、できるだけ敵ゴールに近い高い位置でボールを奪回する、というのが基本的な考え方。攻撃時に最終ラインを高く押し上げ、ボールを奪われた時にはそのまま前に出てボールホルダーを囲んで即時奪回を狙う、いわゆるゲーゲンプレッシングを試み、相手のビルドアップに対しても前線から組織的なハイプレスを仕掛けていく。しかし、そこでボールを奪えなかった時には迅速にリトリートしてコンパクトな守備ブロックを形成し、相手の攻撃をはね返す。

ドローンを使ったラインコントロールの練習も

 サッリの戦術で最も特徴的なものの1つが、このブロック守備のやり方だ。ひとことにゾーンディフェンスと言っても、一般的なのは、DF1人1人の担当ゾーンを決め、そこに入ってきた敵は守備陣形を崩してもマークする、いわゆる「人を見るゾーンディフェンス」だ。しかしサッリは、どんな時にもボールに絶対的な基準点を置いて、味方との位置関係を保ちながらポジションを修正し続け、原則として敵の選手は一切マークしないという、純粋なゾーンディフェンスを採用しているのだ。特に最終ラインは、4人が常に一定の間隔を保ち、一糸乱れぬ上げ下げを見せる。

 このラインコントロールに関しては、敵のボールホルダーにプレッシャーがかかっている(背後にボールを送り込まれる心配がない)時にはラインを押し上げ、プレッシャーがかかっていない(背後にボールを送られる可能性がある)時には後退するというのが絶対的なプレー原則。サッリが、DF陣の位置関係や動きを徹底的に統一するため、練習をドローンで撮影しながら反復練習を行い、リアルタイムでiPadにダウンロードした映像を選手に見せながら動きを修正しているというのは有名な話だが、それでも4人のDFが一糸乱れぬ動きを見せるようになるまでには、それなりの時間が必要となる。

 案の定、開幕から最初の1カ月は5試合でわずか1勝しかできず、2桁順位に低迷する。しかしサッリの戦術が浸透するに連れて調子を上げ、続く9試合で8勝するなど、1位で前半戦を折り返す大躍進。後半戦はユベントスとの直接対決に敗れて首位の座を明け渡し、終盤に息切れしたものの、2位という予想を上回る順位でシーズンを終えた。イグアインはセリエA史上最多得点記録を塗り替える36ゴールを挙げ、得点王に輝くことになる。

エースを引き抜かれるも新たなメカニズムを確立

 サッリがその手腕を存分に発揮し、ヨーロッパ中から「ナポリのサッカーは素晴らしい」という評価を集めたのは、それに続く2シーズンのことだ。

 翌16−17シーズンは、絶対的なエースストライカーだったイグアインをライバルのユべントスに引き抜かれ、しかもその後釜として獲得したアルカディウシュ・ミリクが開幕1カ月後に膝の靭帯断裂で長期離脱するというアクシデントに見舞われた。だがサッリは、それまで控えの左ウイングだったドリース・メルテンスをCFに抜てきすると、攻撃の最終局面のメカニズムを再構築し、ハイボールを一切使わずグラウンダーのコンビネーションだけで敵最終ラインを攻略して決定機を作り出すメカニズムを確立する。そして、2年目のこのシーズンは、順位こそひとつ下がった(3位)ものの、前年を上回る勝ち点(82→86)を記録。さらにチームの完成度が高まった17−18シーズンは、それをさらに上回る勝ち点91を挙げて、最後の最後までユベントスと優勝を争った。

 結果的に3年間でタイトルはひとつも勝ち取れずに終わったとはいえ、攻守両局面で高度な組織的連係を見せる「サッリのナポリ」は、イタリア国内はもちろんヨーロッパでも、グアルディオラのような「同業者」からマスコミまで、あらゆる人々から大きな評価と賞賛を集めることになった。

 この3シーズンを通して、CFがイグアイン(1年目)からメルテンス(2、3年目)に変わったのを除くと、レギュラーの顔ぶれはまったく同じ。しかもチームの組織的連係を機能させる上では、選手間の相互理解と呼吸が鍵ということもあり、サッリはターンオーバーで選手を入れ替えることを好まず、メンバーを固定して戦う傾向が強い。そのためチームとしての完成度は3年目にして、もはやこれ以上は望めない最大値に到達した感すらあった。サッリが契約をあと2年残しながらナポリを去るという決断を下した大きな理由もまたそこにある。

サッリに「それなりの時間」を与えられるか?

どれだけの時間が与えられるかが、「サッリのチェルシー」にとって最初の分岐点となりそうだ 【Getty Images】

 サッリはチェルシー監督就任の記者会見で、自らの哲学についてこう語っている。

「まず監督として自分が楽しむところが出発点。自分が好きなことを仕事にして、それを楽しめるというのは最高の贅沢(ぜいたく)だ。そうすれば選手もまた楽しんでプレーできることを私は知っている。そして選手が楽しんでいる姿を見ればファンもまた楽しめる。これは非常に重要なことだ。私はファンに、チェルシーのサッカーを楽しんでもらいたいと心から願っている」

 この姿勢は、下部リーグで下積みを続けていた当時も今も、まったく変わっていない。サッリは10−11シーズンに筆者が住む街にあるセリエCのチーム・USアレッサンドリアを率いていたのだが、当時彼がこう言っていたのを聞いたことがある。

「私はチームがいいサッカーをすれば結果がついてくると信じているし、それ以外のやり方は知らない。興味もない」

 唯一最大の問題は、サッリのサッカーを選手が楽しんでプレーできるようになるまでには、「それなりの時間」が必要とされるということだろう。チェルシーの陣容は、ナポリと比較すれば明らかに上だ。しかしサッリにとって問題は個のクオリティーではなく、それを組織的なメカニズムの中でどう機能させるかにある。サッリがチェルシーでもナポリと同じように自らのサッカーをチームに植え付けられるかどうかは、目先の結果を求めるクラブ内外のプレッシャーがどれだけ強いか、そしてそれにどれだけ耐えることができるかに懸かっているように思われる。

 監督人事をめぐる過去のさまざまな経緯を見る限り、決して気が長いようには見えないロマン・アブラモビッチ会長は、果たして多少の(もしかするとかなりの)浮き沈みに動じることなく、サッリがチームを軌道に乗せるのを待つことができるだろうか。おそらくそこが、「サッリのチェルシー」にとって最初の分岐点になる。

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著者プロフィール

1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。2017年末の『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)に続き、この6月に新刊『モダンサッカーの教科書』(レナート・バルディとの共著/ソル・メディア)が発売。

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