異色の経歴を持つチェルシーの新監督 9部から出世した戦術オタクの元銀行員
55歳でセリエAに到達した異色のキャリア
チェルシーのサッリは元銀行員という異色のキャリアの持ち主だ 【写真:ロイター/アフロ】
現地時間7月16日、アントニオ・コンテの後を受けてチェルシーの監督となったマウリツィオ・サッリが、クラブのオフィシャルTVで就任後初めてのインタビューに応えたコメントである。
昨シーズンまで3年間率いたナポリを「ヨーロッパで最も美しいサッカーを見せるチーム」と称されるまでに磨き上げ、あのグアルディオラをして「世界最高の監督の1人」と言わしめたサッリは、1959年生まれの59歳。上で名前が挙がったプレミアの名将たちと比べるとだいたいひと回りも年上だ(モウリーニョは4歳違い)。実際その風体は、百戦錬磨のベテラン監督のそれである。
しかし、本人のコメント通り、トップリーグでの監督経験という点では彼らエリート監督たちには遠く及ばない。というのもサッリは、大手銀行の正社員でありながら、サッカー好きが高じて40歳でその座をなげうちアマチュアクラブの監督に転身、それから15年にもわたって下部リーグで下積みを続けた末、55歳にしてセリエAに到達したという異色のキャリアの持ち主だからだ。
監督サッリのサッカー、そしてそれを支える哲学を理解する上ではこのキャリア、そしてそれを支えてきた情熱を知る必要がある。
キャリア12年目でプロカテゴリーの監督へ
大学で経済学と統計学を学んだ後、地元の大手銀行モンテ・ディ・パスキ・ディ・シエナに就職、企業間の為替振替の担当(当時はヨーロッパ内でも各国が独自通貨を使っていた)としてイギリス、ドイツ、スイス、ルクセンブルグの支店に勤務した。その間もサッカーへの情熱は衰えず、アマチュアのコーチライセンスを取得すると、31歳になった90年、勤務の傍ら9部リーグ(下から2番目のカテゴリー)の地元チームで趣味として監督を始める。
午前から午後にかけて銀行で働き、夕方に監督の仕事をするという生活を続ける中、率いたクラブを毎年のように上のカテゴリーに昇格させるなど際立った結果を残し、地元サッカー界で注目を集めるようになった。
そして6部リーグのチームを率いていた99年、40歳で銀行を退職して監督業に専念するという大きな決断を下す。すると翌年から、率いたチームをアマチュアのトップカテゴリーである5部(セリエD)、さらにプロリーグである4部(セリエC2)へと2年連続で昇格させ、キャリア12年目にしてついにプロカテゴリーの監督となった。
日本に例えれば、関東1部リーグのチームを2年でJ3に昇格させたようなものだが、イタリアの場合は各カテゴリーが18〜20チームで構成されており、昇格できるのは優勝チームだけ。難易度は日本と比べてもさらに高い。
キャリアが一時的に停滞した理由
当時から、コンピュータを駆使して練習や試合のデータを分析したり、セットプレーのパターンを数十種類考案するなど、“戦術オタク”的にマニアックな監督として知られており、組織的なプレッシングや一糸乱れぬゾーンディフェンスなど、その緻密な戦術は高く評価されていた。
しかし、緻密な戦術をチームに植え付け浸透させるためにはそれなりの時間が必要だ。そしてその過程ではいくばくかの失敗や取りこぼしは避けられない。だが、目先の勝利を何よりも優先するイタリア、しかもチームの実力が拮抗(きっこう)している下部リーグにあっては、いいサッカーをすることよりも目に見える結果を出すことが正義である。そんな中で、自らの戦術に強くこだわり、現実に妥協しないサッリの姿勢が、ネガティブに働くことも少なくなかった。キャリアが一時的に停滞した理由もまたそこにある。年齢的にも50代に入って、下部リーグで指揮を執る100数十人の監督たちの中に埋もれたまま終わるかにも見えた。
エンポリでの成功が転機に
55歳にしてセリエA到達を果たした(写真はエンポリ時代の2015年) 【写真:Maurizio Borsari/アフロ】
続く14−15シーズンには、降格候補の筆頭に挙げられながら、大方の予想を覆して余裕の残留を勝ち取る。サッリの手腕が全国規模で大きな注目を浴びたのは、この時が初めてだった。そして15年の夏、ラファエル・ベニテスが退任した後、クロップ、ウナイ・エメリ、ルチアーノ・スパレッティらに声をかけたが断られて困っていたナポリのアウレリオ・デ・ラウレンティス会長が、窮余の策としてサッリの抜てきを決断する。ナポリとの3年間にわたる蜜月は、こうして偶然の助けを得て始まった。
当初、マスコミやサポーターに広がったのは、期待よりも不安、歓迎よりも疑念の空気だった。「私のやり方は他とは少し違うので、それが浸透するまで少し時間を要する。というわけで私のチームはシーズンの出足が良くない。皆さんにも少しだけ忍耐をお願いしたい」という率直な就任の弁も、それに拍車をかけた。