2014年 村井改革のはじまり<前編> シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

宇都宮徹壱

異例ずくめだった第5代チェアマン就任

村井チェアマン(前段中央)の就任会見の様子。就任直前のJリーグは経営面で重大な岐路に立たされていた 【写真は共同】

 ロシアで行われたワールドカップ(W杯)を取材中、Jリーグの村井満チェアマンにばったり遭遇したことがあった。日本代表が初戦のコロンビア戦に勝利した日の深夜、サランスク発モスクワ行きの便が一緒だったのである。ボーディング直前に少しだけ会話をした際、「われわれJリーグとしても、今大会の日本代表の戦いにはいろいろ注目しています」と語っていたのが印象的であった。ただでさえチェアマンとしての職務が多忙を極める中、それでもスケジュールを調整してW杯視察を断行するのは、村井自身に「世界を意識したリーグでありたい」という強い思いがあるからである。

 思えば前回のブラジル大会も、チェアマンに就任したばかりの村井は精力的に現地で観戦している。目前のハイレベルな試合に感動するだけでなく、日本サッカーが世界と伍するために何が足りないのか、それをJリーグとしてどう補うのかという揺るぎない視座が村井の中にはあった。そのフィードバックとして、具体的な施策となったのが『フットパス』システム導入によるJクラブの育成の客観的な評価。あるいはJFA(日本サッカー協会)との協働プロジェクトによる、若手指導者の欧州クラブへの派遣などである。チェアマン就任から2度目となるW杯で、村井がロシアから何を持ち帰ったのか、非常に興味あるところだ。

「Jリーグ25周年」を、当事者たちの証言に基づきながら振り返る当連載。第18回となる今回は、2014年(平成26年)をピックアップする。W杯イヤーとなったこの年は、ガンバ大阪がJ1リーグとナビスコカップ(当時)、そして天皇杯を制して3冠を獲得。またJ1の累計入場者数が1億人を突破したことが発表された。しかしこの年、最も注目すべき出来事は、やはり第5代Jリーグチェアマンに村井が就任したことであろう。初代チェアマンの川淵三郎を除けば、Jクラブ社長未経験者の就任は初めて。当時54歳という若さに加え、就任時期が7月でなく1月31日に前倒しされるなど、異例ずくめの就任であった。

 村井がチェアマンに就任する直前のJリーグは、経営面で重大な岐路に立たされていた。およそ10億円もの減収が見込まれる中、何とか新規ファンを増やしていこうと打ち出したのが、15年シーズンからのJ1の2ステージ制復活。これには多くのファンが反発したが、Jリーグとしては背に腹はかえられない状況にあった。そんな中、当時チェアマンだった大東和美は、リクルート執行役員時代の08年からJリーグ理事に名を連ねていた村井に、次期チェアマン就任を要請する。13年12月のある夜、大東から直接その意思を伝えられた村井は、「まさか自分が」と思いながらも、その場で了承したという。

「サッカープロパーではない」チェアマンと広報部長

Jリーグの広報部長を務める荻原。村井とのファーストコンタクトについては鮮明に覚えているという 【宇都宮徹壱】

「あの時、大東さんからは『J1が2ステージ制になる。そういった大きな変革期にあって、もはや既存の考え方では太刀打ちできないから』ということをおっしゃっていたと記憶しています。私自身、リクルート時代に、さまざまな環境変化に翻弄(ほんろう)されました。リクルート事件もそうですし、出版からインターネットに舵を切った時、海外でビジネスを始めた時もそうです。さまざまな厳しい場面に直面した時、『自分は逃げてはいけない』ということを、ずっと思ってきました」

 決断した瞬間の心境について、村井はこう語る。一方の大東は「最初はびっくりした様子でしたが、『分かりました、やります!』と言ってくれたのでホッとしました」と、その胸中を吐露している。かくして、年が明けた14年の1月17日に就任内定の会見が行われ、31日には正式に第5代チェアマンに就任。1月でのチェアマンの交代は、これまでの慣例からすれば異例であったが、(後に述べるように)結果としてこの判断によってJリーグは救われることになる。ここで、もう1人の証言者に登場いただこう。Jリーグの広報部長として、村井と苦楽を共にすることになる、萩原和之である。

「僕がJリーグに入ったのは12年の10月でした。それまでは旅行会社、携帯電話会社、そして前職が日本マクドナルド。携帯電話会社の時から約20年、ずっと広報畑でした。大東さんの時代は1年ちょっとしか経験していなくて、そこから村井さんに切り替わることになるんです。村井さんの印象ですか? すごく物静かな人に見えますけれど、実はものすごく改革の人ですよね。村井さんを含めて、これまで6人の社長を見てきましたけれど、少なくとも大東さんとはまったく違うタイプの方なのだろうな、とは思いました」

 その村井とのファーストコンタクトを、萩原は鮮明に記憶していた。就任内定会見の10日ほど前に、萩原は突然呼び出しを受ける。行った先は、まさに第5代チェアマンが内々で決まり、今後について村井とJリーグ上層部が最後の調整をしている、ピリピリしたムードの場であった。この時、村井は背を向けていたので、萩原はその表情を確認することができない。背を向けたまま、村井は初対面の萩原に問いかける。「プレーヤーとしてのキャリアがほとんどない私は、どういうスタンスで、チェアマンの大任を引き受けたことをメディアに報告するべきだろうか」──。自身もサッカー界でのビジネス経験がない萩原は、意を決してこう答えた。

「確かに村井さんは、Jクラブの経営やプロ選手の経験はないですが、浦和レッズのファンとしてのサッカー愛は十分にあるじゃないですか。ですから、それを前面に押し出してください。メディアの人たちも、サッカー経験者が多いですから、きっとウェルカムですよ」──。その言葉を聞いて村井はくるりと振り向き、「そうか」と言って萩原に少しだけ微笑みを見せたという。いわゆる「サッカープロパーではない」元リクルートのチェアマンと元マクドナルドの広報統括マネージャー。両者が面と向き合った、最初の瞬間であった。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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