山岡泰輔、謙虚に冷静にマウンドへ立つ今 代表は別次元も「いつか選ばれる選手に」

市川忍

今は想像がつかないトップ代表「いずれは選ばれるような選手に」

そうそうたるメンバーとともに、18U野球ワールドカップ日本代表に選ばれた山岡(中央)。写真左は安樂智大、同右は森友哉。2013年9月8日撮影 【写真は共同】

 各世代代表で世界と戦ってきた山岡に、2020年に迫る東京五輪について尋ねてみた。
「自分のこれまでの野球人生の中で、一番、今の自分に生きている経験は高校3年のときのジャパンの試合(第26回AAA世界選手権)です。初めての海外での試合で、いろいろな高校から来た力のある選手がたくさんいた。そういうチームでコミュニケーションを取りながら試合をしたことで、世界が広がりました」

 当時の高校日本代表は森友哉(埼玉西武)、松井裕樹(東北楽天)を筆頭にそうそうたるメンバーで、その後、ほとんどの選手がプロへと進んでいる。山岡は抑えとして登板し、チームの準優勝に貢献した。

「プレッシャーがあるのは、期待されている証拠。プレッシャーを感じながらプレーしたいという気持ちが昔からありますが、現時点での日本代表は、これまで自分が経験した代表とは全くレベルが違うものだと思っています。選ばれたいという気持ちはもちろんありますし、トップで試合をしたいという思いはありますけど、あまりにもステージが違うので現時点では想像がつきません」

 08年、野球競技が最後に五輪の正式競技だった北京のとき、山岡は中学1年。五輪で戦う侍ジャパンメンバーの記憶はない。

「誤解を恐れずに言えばU−21とか、高校の日本代表を“代表”だと思ってしまったらダメだと思っています。あれは代表とはどういうものか、世界と戦うのはどういうことか、知るために経験をさせていただける場所。トップチームに入ったことがないから体感はしていませんが、WBC(ワールドベースボールクラシック)を見る限り、トップの日本代表は僕が経験した代表とは全く別の次元だと思います」

 ただし、五輪やWBCのような、絶対に負けることが許されない、プレッシャーのかかる舞台へのあこがれはある。

「日本代表と聞いて真っ先に思い浮かぶのはイチローさんのいた代表のWBC(09年)です。いちばん試合を見ていました。印象に残っているのは最後の、ダルビッシュさんが奪った三振。スライダーで抑えたシーンですね。自分が同じ舞台に立つこと、今は想像できません。想像がつかない場所をイメージして頑張るのは難しい。でも、いずれは選ばれるような選手になろうと今、頑張っています」

 野球が楽しいという一途な思いを胸に、山岡はさらなる成長を目指している。

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著者プロフィール

フリーランスライター/「Number」(文藝春秋)、「Sportiva」(集英社)などで執筆。プロ野球、男子バレーボールを中心に活動中。

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