悔しかった日本代表の145失点 元木由記雄氏が振り返るラグビー人生
強烈なインパクトを残した“タイソン”
日本代表79キャップを誇る元木由記雄氏 【写真提供:WOWOW】
強靱な肉体と精緻なスキルで戦い続けた伝説のラガーマンが語る世界のラグビーとは――。
――元木さんにとってのラグビー、テストマッチ(国際試合)、そしてワールドカップの魅力を聞かせてください。
ラグビーというスポーツは、80分間という長い時間をかけて、非常にハードに戦う。フィジカル、メンタル、スキル、全ての面で限界を超えたところで戦うスポーツです。
それが、国代表同士の戦いであるテストマッチとなるとまたフィジカルレベルが上がる。判断力も、クリエイティブな能力も、より求められる。一人一人にかかる責任も大きくなります。
――元木さんは20歳の1991年から4度のワールドカップを経験されていますね。
1991年は初めてだったし、自分も試合に出るチャンスがなかったんですが、ちょうど世界のラグビーが水面下でプロ化に進んでいく境目の時期だったと思いますね。今振り返ると、当時の僕らの意識は『世界に勝つ』というよりは『どう世界に挑戦するか』という意識だったと思います。2015年のワールドカップで結果を出したときとか、サンウルブズでずっと世界の強敵と試合を重ねながらワールドカップを迎えるのとは、だいぶ違う条件で臨んでいました。
NZ戦の大敗「応援してくれている方々を裏切る形に…」
2004年のカナダ代表戦で勝利し、笑顔を見せる元木氏(左)。大畑大介氏(中央)、箕内拓郎氏(右)と日本代表を引っ張っていた 【写真:築田純/アフロスポーツ】
いろいろありますけど、やっぱり1995年南アフリカ大会のニュージーランド戦(17対145)はすごく印象に残っています。歴史的な大敗を喫してしまって、僕自身ももちろん悔しかったし、応援してくれている方々を裏切る形になってしまったけれど、あれが日本代表のスタートになった面もあると思います。
そのあと、1999年や2003年のワールドカップでは、ある程度、良い試合ができるようになりました。でも、後半の途中までは競り合っていても、最後は力の差が出てしまっていた。僕自身、最後の20分をどうしたら勝てるのかなと、そこをずっと考えていました。
――ワールドカップでは勝敗以外でもいろいろなことを経験されたのではないでしょうか。
1999年のウェールズ大会では、ミレニアムスタジアム(現プリンシパリティ・スタジアム)に7万人の観衆が集まった中で試合をしました。7万人が歌うウェールズの国歌は、鳥肌が立ちました。相手の国歌ではあるけれど、ラグビーの伝統の重みをすごく感じたし、テストマッチを戦う名誉を感じました。
2019年には日本でワールドカップが開かれますが、日本にもああいうラグビー文化が根づいてほしいと思いますね。次の日に会社や学校で『昨日の試合はすごかったな』とか、そういう会話がかわされるような存在に、ラグビーもなっていかなきゃと思います。